起業家はウツだらけ!?  - 倒れても、また立ち上がるために(前編)

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中村義之氏
株式会社YOUTURN代表取締役
(みんなのウェディング元COO)

一見華やかに見える、成功した起業家。
しばしばその裏には、筆舌に尽くしがたい苦労があります。

IPOを経験し、その後メンタル疾患を患って退職。
2年の病気療養を経た後に、再度起業のチャレンジに踏み出した起業家の話に迫ります。

 

普通なら表に出てこない先人の教訓を共有し、未来を変えていくための共有知にする。
今チャレンジしている起業家、これから起業を考えている挑戦者の卵の方に、至玉の話をお贈りします。

尚、本記事はX-エックス-のメンバー限定パーティーである「新・車座 其の二十一」を記事化したものです。「車座」にご興味ある方は最下部のリンクをご覧ください。

※本記事の内容をより的確に伝えるため2018.1.19にタイトル変更をしております。

 

みなさん、こんにちは。株式会社YOUTURNの中村と申します。

簡単に経歴をお話しすると、DeNAに新卒で入社し、みんなのウェディングという新規事業に携わり、スピンアウトして3年半でIPO。

しかし、その後メンタル疾患にかかって2年療養した後にまた起業しました。

プロローグ

ベンチャーに携わることになったキッカケ

中村さん:会社設立してから3年半で上場したのですが、その半年後の満4年働いたところで、私は病気になりました。

今振り返ると一瞬だったと感じますが、当時はとても濃密な時間でした。

そもそもどうしてまずベンチャーをやったのかというところから遡ってお話しさせてください。

大学3年生の頃、将来は起業したいという志が芽生え、在学中にベンチャー企業で1年半ぐらい長期インターンをしていました。

当時から、困難を乗り越え、偉業を成した企業家や経営者の本などをよく読み、自分もそういうことにチャレンジしたいと憧れを持っていました

僕が就職活動していた2006~7年当時、DeNAは東証マザーズから東証一部へ市場変更するかしないかのタイミングで、まだ今ほど有名ではありませんでした。

当時はモバゲータウンというよりオークションの会社で、「これからどんどん新規事業を立ち上げていって若者に任せていく」ということを採用のPRでも話していて。

将来自分で起業するために必要なのは新規事業での経験だろうと思い、力が付いたら起業したいと思いながら2008年にDeNAに入社しました。

最初の2年間はショッピングの事業部に配属されました。

そして新卒3年目に、念願かなって新規事業室に配属され、その中のひとつのビジネスである「みんなのウェディング」をやる部署に異動になりました。

最初は詳しくは知らなかったのですが、しばらくこの事業に携わってみて、「このサービス本当にいいな」って惚れ込んだんです

結婚式って本当に高額な出費ですよね。
そして、最初に提示された見積もりと実際に結婚式を挙げて発生した金額って全然違うことがよくある。

そこで泣き寝入りしちゃうようなカップルがたくさんいるんです。

そこで、実際に結婚式を挙げた人の口コミやみんなの明細をネット上で見ることができるようにすることで、そういったミスマッチを解消する。

つまり情報の非対称生を解消しようというのが本サービスの考え方です。

結婚式は人生でも一番ハッピーなイベントであるにもかかわらず、暗い思い出になってしまう人たちを減らしていく。

すごくいいサービスだと思いました。

これを伸ばしていけたら、社会をよりよくしていけるのではと本気で思って取り組みました。

 

運命の片道切符

4月に配属されたんですが、8月に分社化するという通知が人事部から下りまして。

人事部長との面談で、大好きなので是非続けたいと伝えました。

出向で行けるかと聞いたところ、会社辞めていくか、「みんなのウェディング」を諦めて残るかの二択と言われ。

一瞬悩んだのですが、新しい事業にゼロから参画できるのもなかなかない経験で、事業自体も素晴らしい。
IPO目指してやっていくというチャンスに恵まれることもこれからなかなかないのでは、ということで、DeNAを退社することを選びました

会社をつくる経験もなく、気持ちとやる気だけで新会社への片道切符を手にした当時、26歳でした。

上場までの上り坂

〜目隠しをして全力疾走している気分だった〜

中村さん:その後3年半でIPOにいくまで自分はどういう仕事をやっていたかをかいつまんでお話しします。

1年目は取締役兼マーケティング部長
とはいっても最初は一人部署でした。

会場:笑

2年目はどんどん採用をしていき、マーケティングの部隊を10名程度に増員しました。

そして3年目、営業部長が突然退職するということが起きました

どうするんだと社内は混乱したのですが、2年目までにマーケティングの部署がメンバーだけで回せるようになっていたので、僕が営業部長を兼務することにしました。

この3年目は上場の直前期で目標必達のとても重要な時期だったから、それなら自分でコミットしたいと思ったんです。
人員も大幅に増やし、1年で倍になるぐらい採用していきました

その後事業本部制を敷き、事業本部の下にマーケティング部と営業部を置きました。

本当は各々レイヤーごとに別の部長を立てるべきだったのだけど、なかなか人材の育成が追い付かず、僕が事業本部長とマーケティング部長、営業部長を兼務せざるを得ない状況でした。

でも目標必達なので、それでも自分はやっていくぞという気持ちでやっていました。

当時僕は26歳で、営業部は平均35歳ぐらい。
なぜこの若造がマネジャーなのかという感情もあったと思う。

僕も気を負うところがあり、今振り返ってみると、かなりきつめのマネジメントをしていたと思います。
なめられないように。

当時はそういうつもりでは全然なかったのですが・・。

川元:10から80名ってスライドにさらっと書いてありますが、冷静に考えるとすごいことですよね!?

― はい。この間に2回ぐらい引越しています。

(川元:大手都市銀行、金融系ベンチャーキャピタルを経て起業。本イベントの主催者兼モデレーター。)

 

4年目、事業本部100名のマネジメント
きつかったのは、経験・スキルがゼロからスタートしたことです。

1年目では数千万円のマーケティング予算を使って全然結果が出なかったりといった、泣くほどつらい経験をしました。

とにかくキャッチアップする時間がなく、施策をただ繰り返しました

1年目は全然結果が出なかったですね。伸びてはいたけど、目標に到達せず、悶々としていました。

例えて言うなら、目隠しをして全力疾走している気分

この期間内に目標必達しなくては、このメンバーでできることより上を目指していかなくてはと、本当に合っているかわからない仮説の上でずっと走っている状態でした。

何より、失敗できないのがきつかった

 

「事業の成長スピード」と「人を育てる時間」のミスマッチ問題

中村さん:ミドルマネジメントとしての課題ですが、「育てるには任せなくては、でも任せるには早い、育てる時間待てないなら自分でやってしまった方が早い・・」と百人規模になってもそういうことをやっていました。

当然キャパオーバーになってきます

 

川元:(本日参加者の)内山さんは7社ご経験されていますよね、人事・組織関係について同じようなご経験があるのではないでしょうか?

内山さん:日本生命の資産運用部門を経て、電力分野のコンサル・投資会社、数々のスタートアップの経営層として参画後、ビッグデータ解析の会社を設立。

内山さん:そうですね。僕が人事の責任者をやっていた中には、離職率が非常に高く、採用がなかなか追い付かない会社もありました。

人のことは本当に難しいですよね。

マネジメントをやったことない人がやると下がやめてしまう。
人事をやっていてむなしくなりました。

人を増やしすぎるのも問題です。

一人ひとり育つのを本当は待たないといけないことも多い

 

神尾さん:あ、いいですか?
お話を伺っていて、つい声を挙げたくなって・・(笑)。

神尾さん:ワークスアプリケーションズのエンジニアを経て、起業。アジアで1千4百万ユーザーを超えるスタートアップを成長させるが、その後事業を閉じる。現在はインバウンド旅行者向けのスタートアップを創業。

組織って人が育って成熟するのに適切な時間とサイズがある

けど、スタートアップとして掲げた事業目標がそれを許さない。

事業のスピード感と人の能力や成長速度がミスマッチだから長時間労働でカバーしがちなのがスタートアップに介在する問題の大きなものですよね。

つまり、ゆっくり成長することが許されない。

内山さん:僕はやめていい部署とそうでない部署をしっかり分けてマネジメントするべきだと思います。
たとえば営業はやめる前提でマネジメントして、他はしっかりケアするとか。

(ベンチャーは)マネジメントを多くの人が経験値ゼロから始めるので、リソース配分をうまくできないという印象があります。

 

人を辞めさせなければならない問題について

神尾さん:辞めていってしまうというのも辛いのですが、一方で辞めさせなければならないというのもマネジメントとして自身の身を痛めつけるものですよね。

今質問してよいのか分からないのですが・・・この辺りの経験をお聞き出来ればと。

中村さん:辞めさせなければいけないという経験は数名、ありましたね。
ただ、もちろんですけど「辞めさせた」わけではないですね。

本当に辞めさせなければならないというのは社員の方が良くないことをやってしまった場合などだけですが、とはいえ「合わない」場合というのがある。

このまま会社にいても双方ハッピーでないという局面も数名あったかと思います。

そういう時はどういうコミュニケーションを取ったのかというのがポイントだと思います。

退職を勧めることは出来ないのですが、「このままうちで働いていても面白くないのでは?価値観が合わない、若しくはズレを感じないか?」というコミュニケーションをするしかないかなと。

僕のコミュニケーションがきっかけかどうかはわからないですが、結果的にそれで合わない方は辞めていったのかなと。
何故なら辞めない人は辞めないですからね。

そういう話をしなくても辞める人もいれば、して辞めない人もいるので、なかなか難しいですよね。
そこまで強くコミュニケーションを取ったわけではないです。

神尾さん:言いづらい問題を話していただいてありがとうございます。

 

事業計画の決め方

内山さん:人の悩みにも絡むところだと思うのですが、事業計画やIPOに向けたスケジュールについては、どうやって決めましたか?

中村さん:多くのスタートアップがえいや!だと思うのですが、僕らはいつまでにいくらという目標を立て、逆算逆算で決めていきました

内山さん:上場時のValueを想定して数字を決めていたのですか?

中村さん:そこまでじゃないですね。
上場要件を満たすくらいの数字を置いて、そこを目指していった感じですね。

内山さん:ちなみに、(自分は)社長が理想とする数字が高すぎて「そんなのとてもできない・・・」というところから、現実的に伸ばせる数字を社内で議論していたということが過去の経験であったのですが。

社内目標はどう立てていましたか

中村さん:その計画の叩きのところもボードの中でやり取りしていたので、そのプロセスは無かったですね。

目標値についてはボードの中ではかなりコンセンサスは取れていたと思いますね。

川元:いいチームですね!

中村さん:(満面の笑顔)・・・ただですね・・・当たり前ですけど、どんな計画も想定し得ない要素が出てくるじゃないですか。

例えば、誰々が辞めただとか、外部環境が変わっただとか。

あと、よくあるのが営業マン1人採用したら何件取引先獲得して単価がいくらでって考えて計画立てるのですが、実際はそんなにうまくいきません

そうなったら、修正するかしないか、そしてどう修正するかといったことは議論になりました。

 

高い目標を乗り越える・・・それが悲劇を引き起こす

中村さん:あとこれ、すごく大事なポイントだと思うのですが。

上場の直前期が一番きつかったけど、うまく乗り越えたんですよね。

最初は「こんな高い目標達成できるわけないでしょ。上半期無理だったのに下半期に目標を積み増して達成できるわけない・・・」という感じだったのに、いろいろ施策をやっていくと、かなり上回って達成したんです。

「みんなこれはよくやったよね!」と高揚感のある中で次の目標を決めると、非現実的にかなり高くなってしまう

コンサバめに作ったつもりの計画が、実際はとてもきつかったんですよね。

上場当時の計画がその高い目標にぶつかってしまって・・・それがキツかったですね。


中村さん:次に、どういうメンタリティで働いていたら病気になるのかというお話をしたいと思います。

大学時代からハードワークをしていた経営者の本などをよく読んでいて、とりあえず限界までやるんだという思い込みがありました。

DeNAもすごく働く方が多かったですし、しかもIPOを目指す会社という恵まれた環境にいて、ここで頑張らなかったらだめだという想いがありました。

また振り返ってみると思い上がっていたなと思うのですが、自分にしかできない仕事だと思っていたんです

この仕事は任せられないと。

完璧主義だったきらいもあると思います。

任せれば8割くらいの完成度のところを10割じゃないと納得できない

あとキャパ以上の仕事をこなせば成長するという考えがありました。

とりあえず断らずに全部やればキャパが広がっていく。
そう言っているマネジメントの人は多いのでは。

一定の真理ではありますが、キャパをどれぐらい超えるか・・・というところですよね。

川元:人間の限界を越えるとどうなるかということですよね。

中村:その通りです(笑)
当時はとにかく誰かができないところまで自分が拾う、誰かが倒れたら自分が代わりをやる、ということをやっていました。

IPOの前って管理部門に負担がかかるじゃないですか?誰かが倒れてしまったり。

川元:えっ!ということは管理部門にも入っていらしたのですか!?

中村さん:そうですね(苦笑)

川元:前(フロント)も後ろ(バック)もカバーして凄いですね(笑)!

バックオフィスというと、木野さんがお詳しいですよね。
木野さんはご前職でIPOをCFOとして達成されている方なんです。

IPO前の管理部門の負担などで思いたることはありますか?

また、途中なのですが、もし宜しければお酒交えてやっていきますか(笑)?
ビールをお配りするので飲みたい方はお飲みになりながらゆるっとやりましょう。

皆さん:そうしましょう!

中村さん:口が滑っちゃいそうですね(笑)

(木野さん:会計事務所からキャリアをスタートし、IPOコンサルを経てビッグデータ解析のスタートアップのCFOとして2016年にIPOを経験。現在は医療系のスタートアップでCFOを務める。)

木野さん:前職の時にIPOを責任者として経験したのですが、中村さんの言うこれらのこと、全部あてはまっていました

上からは「管理部門3人で上場した会社もあるよ〜」みたいな(笑)。

会場:大笑

木野さん:プレッシャーはかかってましたね(笑)。
それで、自分がやりきってしまった

それが良かったのか悪かったのかは未だに分からないのですが。
体調は悪かったですし、ずっと風邪が治らなかったり。

秋口から審査に入って春に上場したんですけど・・。

中村さん:では同じくらい(のスケジュール)ですね。

木野さん:はい。ずっと体調が悪かったですね

川元:中村さんがブログに書かれていた通りですよね。

中村さん:はい(笑)常にお腹をくだしている状態でしたね。
そんな中で更に睡眠時間を削るとか、自分を追い込めば、もっと力が出せる

そして、たまたま乗り越えてしまう
そういう経験をしてしまったということ。

ハードワークして頑張って乗り越えてしまった経験をすると、もっときつい時にもっと削ってしまう
根性で全部乗り越えるぞ、みたいな。

戦略を考える時は(自分が)論理的な方だと思っていたのですが、ことワークスタイルについては感情論でやってしまった。

未熟だったんですよね。
自分を客観視できてなかったなと思います。

毎年目標を達成し、うまくいき過ぎたから、どんどんどんどん計画が上がっていった
事業計画策定能力が未熟だった面もあったと思います。

 

「みんなのウェディング」のビジネスモデルは?

川元:このタイミングでそもそも論で恐縮なのですが、「みんなのウェディング」って誰に何をいくらくらいで売っていたのですかね?
認識の共有があったほうが皆さん分かりやすいかと思いまして。

中村さん:すみません、抜かしてしまってました。

みんなのウェディングは結婚式場の食べログみたいなものですね。

全国には大体数千の結婚式場さんがあるんですけど、そのうち二千数百くらいが広告費を払って集客をしている事業者なんです。
それ以外のところは町の教会とかでクライアントになり得ないところです。

クライアントになり得る会社に、こういうサイトがあると話して売っていきます。

当時は大体月額5万円、年間60万円で掲載できるというところからスタートしていました。
IPO前に値上げをして月額10万円くらいですね。

ずっと達成してきた事業計画とその裏に潜むリスク

川元:そうすると20億円の年商を達成するためにざっくり2千社取らなければならないという数字感ですね。

中村さん:基本に加えて、パッケージで他のプランもあったりするので単純にそうとはいえないのですが、ざっくりそんな感じです。

川元:IPOまでの売上としては1年目から順にどういう感じで積み上がっていったのですか?

中村さん:1年目3億円、2年目5.5億円、3年目10億円、4年目15億円という感じでした。

川元:理想的な伸び方ですね。

中村さん:3億円から5億円というところは想像の範囲だったのですが、そこから15億円というところは本当にキツかったですね。

川元:ちなみに、その間計画をずっと達成していたのですか?

中村さん:そうですね。3年目までは達成していましたね。
事業計画の策定能力も未熟だったという面もあるのですが。

川元:この事業計画を達成していたというくだりなのですが、凄いことなんです

ベンチャーに携わっていらっしゃる方はご存知だと思うのですが、事業計画を達成している方がユニコーン(いわゆる伝説の生き物の例え)で、ほとんどのベンチャー企業が達成していないものなんです
絵に描いた餅が当たり前。

普通はうまくいって5〜7年で上場というかんじですから、3年半で上場ってどれだけすごいことかということをお伝えできればと思います。

中村さん:ありがとうございます。

当時社外役員で入ってくれた方が言っていたのは、計画をかなり達成していて稀有だけど、逆に心配なのはまだ「計画を下回るという困難を経験していないこと」だと。

まさにIPOした後に少しだけ下方修正をした時は、それだけですごくヒリヒリしていました。
やばいやばいと、寝ずに働きました。

成功しすぎたんです

そういうことをやっていると、もちろん病気になりました。ここから病気の話になります。

達成できないから、死ぬまでやるしかない
睡眠時間を削る一番やっちゃいけないことです。

そして、忍び寄る病魔

虚像との闘いと病気への予兆

中村さん:で、次に自分が創り上げた虚像のプレッシャーと闘っていました

未上場の時はコミットする相手である株主の顔が見えました。
何かあれば、この人達に謝ればよかった。

IPOすると、何百何千という顔も見たこともない人の資産を預かることになります

そう考えたときに、自分はどこまでやらなくてはいけないんだという問いに答えがなく、歯止めがかからなくなりました

自分が創り上げたイメージでしかない、顔の見えない株主に対する責任。
そういう方の資産を預かっている。

虚像であって実態がないからこそ、どんどんどんどんやらなきゃというプレッシャーや責任感が増えていきました。

川元:そこをもうちょっと掘り下げてお聞きしたいのですが、なんでそこまで見えない虚像を作ってしまったのでしょうか?
やはりお金(大きな時価総額や創業者利潤など)と結びついていたということですか?

中村さん:いえ、そこはお金というよりかは数字を達成できるかどうかが大きいですかね。

ゼロとはいえないかもしれないですが、お金をあまり意識したことはなかったです。

自分の虚像の投影だったんだと思います。
自分がここまでやらなきゃいけないと思っているから、見えない相手も求めているはずだと

鏡写しみたいな感じですね。
突き詰めると責任感だったんだと思います。

達成し続けてきた経営チームの中にいた僕が失敗なんてできないし、したくないという、挫折に対する恐怖でした。

「自分は絶対に達成し続けないといけないんだ」とー。

川元:数字の重さという観点が皆さんにもっと伝わったらなと思うのですが、上場時の時価総額ってどれくらいだったのでしょうか?

中村さん:大体240〜250億円くらいですかね。でも今は80億円ですからね(苦笑)

川元:今日はそこは本題ではないので話を戻すと・・。
中村さん:そうですね、IPO直前のハードワークだけの短期的な問題だったとは思っていません。

その前にも不摂生な生活を朝までしたり、疲労が蓄積していました。兆しはあったんですが、予兆を無視したんです

たとえばシステムエラーだとか突発的なトラブルが発生した時、それが自分のプロジェクトに関するものだと聞くと動悸が止まらなくなりました。

これまでそういう事態が起きた時にそういう状況になったことはなかったなと。

また、寝ている時に幻覚を見るようになったりもしました。

川元:それはまずいですね(笑)

中村さん:当時はメンバーに「こういうことがあったよ、あっはっはっ!」と喋ってたんですけど。

川元:それは周りの方も笑えないですね!(笑)

内山さん:僕の友達で鬱になった方も同じように幻覚を見ていたという話を聞いたことがあります。

川元:神尾さんも相当な苦境をご経験だと思うのですが、この辺りいかがでしょうか?

神尾さん:僕は幻覚までは見ていないのですが・・・(笑)。
会場:(笑)

神尾さん:このパート、本日すごくお聞きしたいなと思っていた部分だったんです。
知り合う前から中村さんのブログを拝見したことがあったので。

誰でも、苦境に立たされていた当時を振り返って話をするというのは、本当につらいことだと思います

スタートアップ経営、あるいは近い立場に近づくほど、きっと同じ経験をしている人が結構いるのでは
でもこういう話はあまりオープンにならないから、共有されるべきと思います。

以前、川元さんと一緒にブログを書かせて頂いたのですが、実は、そこに自分の心境まで書いてないんですよね・・・。

私の場合、2015年5月頃に大きな転換点があって会社のメンバーの大半をリストラせざるを得ないことになりました。
その後相当メンタルが落ち込みまして。

その時、ふとブラウザの検索履歴を見ると「中小企業、社長、自殺・・・」などヤバいことになっていまして・・・そこから脱するために「ソロキャンプ」という技を発明しました(笑)。

その名の通り一人でキャンプに行くというだけなのですが、誰とも話したくない、辛い心境を癒すことができました。

そんな当時の落ちた自分のことは、できるだけ人前で話したくないんですよね。
思い出すと心が締め付けられるので。

でも中村さんにこうして話していただけて、今日聞けて良かったと本当に思います

内山さん:本当に同じ経験をされている方はかなり多いのではと思います。共有されるべきで、こういう場っていいなと思う。

私自身、過去に鬱だと思われる人と一緒に働いていたことがありまして

もちろん最初はその人が鬱だなんて思っていませんが、普通に接していて、おかしいと思うことがありまして。
「トイレで吐いてきた」という話が出てきたり。

私は幸い鬱の手前で踏みとどまったんですけど、それでも睡眠不足で気分が高ぶりやすくなったという時があったり、普段怒鳴ったりしないんですけど、本当に究極の場面で怒鳴ったりということもありました。

こういう場ってなかなかないので、本当にいいなって思います。

中村さん:ありがとうございます。

川元:実はちょうど1年前の6月の「車座」にご登壇頂いて、「幹部から見たベンチャー企業のリアル」というテーマで開催したんです。

以前内山さんと話していましたね。ベンチャー経営者って実はメンタル面で苦しんでいる人が多いのではないか」って。

一見きらびやかに見えるんだけど、実態は違っていて、とにかく計画に苦しめられている

ただ、そこまでチャレンジした人なのだから、救っていかないとではと思うんですよね

そして、病気になった

中村さん:当時の幻覚の状況っていうのはブログに書けなくてですね(笑)

川元:そうですよね、公開するにはリスキーすぎますよね(笑)

中村さん:そうですね(笑)

病気になったというところなんですが、病名としては双極性障害Ⅱ型でした。
いわゆる新型鬱のような特徴で、その場所に行くと動悸、緊張、不安感に襲われる病気です。

当時あった症状としては、たとえば夜道でランニングしていると、誰か後ろから追いかけてくるのではという動物的不安に襲われ、気になって仕方がなかったり。
締め付けられるような頭痛があったのですが、表情筋が固くなって顔が押しつぶされそうな、すごくきついものでした。

あとは情緒不安定で・・・病気になる前はいきなり突然泣き出したくなったり。

精神的に一番きつかったのは、スマホなどで文字がぐらんぐらんして読めなかったこと。
医者に聞くと、文字を認識することは人間のみが持つ高度な能力みたいなのですが、脳が疲れていてそれをできないんですよね。

PCにも向かえず、向かってもめちゃくちゃ頭が痛くてこんな状況で仕事復帰できるのかという不安感に襲われることが、療養中一番辛かったです。

あとは思考が鈍くて議論が苦痛だったり、幻覚や睡眠障害があったりしました。
あと、寝ている時に自分の顔を叩いているんですよ・・・今でもあるんですけど(笑)

その時に嫁が手を押さえてくれるんですね。何故か分からないです。それは。
医者に聞いても誰も答えを持っていないので。

(額田さん(仮名):大手通信会社を経て、スタートアップの開発責任者としてご活躍中)

額田さん:僕も2回ぐらい同じようなことがありました
大手通信会社の時と今の会社で新製品の開発の時になって、(今回話を聞いて)他の方もいらっしゃるんだなと感じました。

奥さんの話があったのですが、僕も結婚していまして、こういう療養中とか奥さんからどういうサポートがあったのかお聞きしてもいいですか?

中村さん:あぁ、嫁はもう戸惑いまくっていましたね
当時同棲して、婚約してまだ結婚はしていないという状況だったんですが、嫁もどう接していいか分からないという状態でした。

僕が家でずっと泣いているわけですから(笑)。

額田さん:それってどうしていったんですか?
奥さんが(夫に対する)理解が深まっていって、今はしょうがないんだなと(認識できると)かですかね。

中村さん:そうですね。今はそんな感じですね。
今もまだ睡眠障害は少し残っているのですが、日常生活には支障はないので、「これが本当のあなたなんだ!」という感じですね(笑)。

当時はどう接していいかわからないし、腫れ物に触れるような感じだったと思います。

額田さんは奥さんとどういう感じなんですか?

額田さん:そこまできちんと話したことがないんですよね

今は疲れているから本読むの止めておくわとか、頭が痛くて吐くことは未だにあるんですが、よっぽど大きいイベントがあった時とか夜中に起きちゃったりするんですけど、そういう時って(妻は)どう思っていたんだろう?とか思い返してしまって。
すみません。

中村さん:タイミングが来たらお話されたほうがいいかもしれないですね。

額田さん:そうですね。

川元:額田さんは会社としては急成長中のステージだと思うのですが、今は大丈夫なのですか?

額田さん:今は大丈夫ですね。
ちょうど1年前はスーパーハードワークをしてまして。
1日300%働きます!みたいな(笑)

中村さん:(大笑)

川元:数字がおかしいです!(笑)

額田さん:なんか人工が足りない・・・あぁ、それ俺がやるから大丈夫みたいな(笑)

ただ、この1年間は定時に上がるということを目指していて、今までは思考が鈍いと感じることもあったのですが、今は大丈夫です。

川元:僕も本当に他人事ではなくて、共同創業者が鬱になって倒れてしまって・・。

まさに中村さんがお話されていた症状がほぼ全て当てはまるんですね。幻覚は聞いていないですが・・。

誰も見たことのない事業をつくるというチャレンジをするとき、その中で僕たちは外部資本を入れていないのですが、特にVCから調達をして直線的な成長を目指さないといけないという環境。

そして多額のお金を調達したことで生じる過度な責任感というのが掛け合わされると、人間の限界を超えてしまうという側面があるのではないかと思います。

内山さん:責任感ですよね。エンジニア気質とか、細かいところが気になる人もなりやすいんだろうなと思います。
あとは会計士とかもそうだと思いますが。

実際に見ててやっぱり、そもそも鬱になってしまうと回復に半年から1年半くらいかかる

思い切って休んでもらうとか、海外に行ってもらうとかが必要ですよね。

中村さん:そこは割り切りが大事ですよね。

 

睡眠は本当に大事

川元:田口さんも会社が成長の渦中にあると思うのですが、いかがですか?

(田口さん:大手総合商社を経て、ベンチャー向けのコンサル事業を営む。近い将来BMI(Brain Machine Interface)というインターネットと脳を直結させる技術の開発を目指している。)

田口さん:僕も・・中村さんの予兆のお話、ほぼ全て当てはまっていますね。
まさに今僕その状態なんですけれども(笑)

川元:まずいじゃないですか!?(笑)

田口さん:先月まで受けていた仕事と全く同じ金額の仕事を受けてしまって、相当やばい状況で僕一人で回しているのですが・・。
本当に夜寝られない状態で・・。

ただ、僕は中村さんと少し違うところがあって。寝るのがすごく好きなんですよ。だから乗り切れているところはあるのかなと。

一度、前職の時にコロンビアの財閥系のプロジェクトを担当していた時に本当にずっと寝られなくて、肌荒れで顔中真っ赤になったことがあったんですね。

人から「大丈夫か?病院行ったほうがいいよ。」と言われて、「いや、いつ行くんですか!?」という状況なんですけれども(笑)・・という時にまさにそういう症状になりました

その時に衝撃だったのが、僕の小さい頃の仲良かったお兄ちゃん的な存在の人がそのタイミングで過労死してしまって・・。

その時に自分も本当にやばいと思って、意識的に僅かな時間でも寝るようにだけはしたんです。

その時の恐怖感が今でもあるんですね。

全然他人事じゃないなというか、病気になるのはもちろん良くないのですけれど、死んじゃうと取り返しがつかないので・・。

怖いなと思いましたし、とても勉強になりました。

川元:中村さんのブログに共感して経営者からたくさんメッセージがきたんですよね。
やっぱり、チャレンジしている人が陥る共通の落とし穴なんだと思います。

本日は日本のビジネスでも最前線におられる方ばかりなので、忙しい人が陥りがちな教訓が伝わればなぁと思います。

決定打となった症状、そして退職へ

中村さん:はい。こういう症状が出てきて、「あ、これはやばい」ってなったタイミングがありました。

毎週月曜日にボードメンバーで定例のミーティングをしていたのですが、ある日その前に早めに出社して資料を作ろうと、朝6時ぐらいに会社に行きました。
寝られないからそんな早いんですが(笑)。

その頃はもう寝ようと思っても不安で寝られなくなっていました

朝早く起きてパソコンを開けたんですが・・手が震えてキーボード打てないんです。動悸もすごい

で、残りの3人のボードメンバーが出社して話し始めたんですが、声震えながら「僕、やばいです」と伝え、ぶぁーって泣き出してしまったんです。

そしたら「中村君、やばいからもう帰んな」と言ってくれて。

家に帰って、「一週間ぐらい休みな」ということになり、地元の福岡に帰ってゆっくりしました。

そして日曜の夜、東京に帰るため電車に乗りながら、「また会社に戻るんだ・・」って思った瞬間、ものすごい頭痛が襲ってきたんです。

あ、これやばいと思って同僚の役員に電話して、こういうことなのでやっぱり行けないと伝えたところ、「心療内科行ってみたら?」と打診されました。

当時の僕の反応は、「いや僕病気じゃないです。疲れてるだけです」と。
今思えば病気じゃないわけないじゃないですか(苦笑)。

でもその時は、疲れていて身体がついていけないだけだと思っていたんです(笑)。

川元:皆さん、笑いづらいと思うんですが、敢えて笑って下さい(笑)。
会場:(笑)

中村さん:先程、鬱で本人が気がついていないという話があったかと思うんですが、こういうことだと思うんです。

「俺は大丈夫」と思ってしまっているという。

で、病院に行ったところ、双極性障害Ⅱ型と診断を受けました。
診断を受けて、なんか安心しましたね。
だったら対処法はあるなと思えて

会社にはそれをもって退任を申し出、「(他のメンバーも)ま、そりゃそうだよね」ということになって、辞めました。

退職した時の心境

中村さん:とにかく会社、メンバー、株主に申し訳ないというのが当時の心境でした。
「こんなところで挫折しちゃったわ」という敗北感。「あぁ、俺、ここで終わるんだ」と。

「上場している企業はいっぱいあるけど、みんな病気になってるわけではないよね」とか考えて。

自分はこの程度で終わる人間なのか、もっと高みを目指すつもりだったのに・・という思考をしていた。

あとそもそも病気治るのか・・また働けるのか・・このままみんなの記憶から俺を消してくれ・・という気持ちでした。

そこで僕が最初にやったことは、スマホからFacebookアプリを削除することでした。
できるだけ外界と触れたくないと。

川元:他人からの視線で傷つくということですかね。

中村さん:それもあるし、同じく経営者として頑張っている友達が、「達成しました!」という報告がつらかったり。
あいつは病気にならないんだろうなと思ったり。

川元:きっと達成したその経営者たちも苦しんでいるんだと思います。

中村さん:そうなんですよね。

川元:何億円調達したっていうニュースなども、お金がないから調達したということですし。

むしろそのお金を使って何をやっていくかということの方が中の人にとってはプレッシャーですが、なかなか言えないんですよね。

中村:めちゃくちゃありますよね。本音を話せる場所があるといいと本当に思います

川元:群馬から初参加の木幡さん、いかがですか?ネットで問い合わせして参加してくださったんです。

中村さん:おおー!

(木幡さん:製造業の現場、SEから製薬会社の工場立ち上げなどを経て再び製造業で勤務。)

木幡さん:私は起業とかしてきたわけではないのですが、すごいご経験をされているなと勉強になりました。

私自身も過去に病んでいた時期があり、プレッシャーがかかっていくと人間って壊れていくものだと思います

あと、人間休むことってやっぱり大事だと自分の経験からも感じています。

当人が気付かないことって多いと思うので、誰か止めてくれる人がすごく大事だなって思いますね。

神尾さん:ぶっちゃけて、個人株主と違ってベンチャーキャピタルなど会社から出資されている場合、彼らもリスクヘッジを十分されているわけなので、なぜ申し訳ないと思うのかというところを、あえてディスカッションしてみたいのですが。

中村さん:すごく率直にお話しいただいたので率直にお返しすると、金銭の多寡で申し訳ないと思ったわけではないんですよね。

十分儲かっていただいたと思います。

一同: 笑

中村さん:でも期待していただいていた中で、継続的にコミットするつもりだったにもかかわらず、道半ばで退場することになった

僕はバスケをやっていたのでそれに例えると、40分の試合の中でハーフタイムに捻挫した無念感
ヘッドコーチに申し訳ないという気持ちと近い。

神尾さん:僕もスラムダンク世代なのでよく分かりました(笑)。

 

頑張りすぎたその先に、病気という絶望を経験した中村さん。後編では、そのようなどん底からどのように立て直していったかを語ります。

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