それぞれのHARD THINGS#02 神尾隆昌

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ブログメディア「大企業からベンチャーへ powered by X-エックス-」の不定期掲載企画として、”それぞれのHARD THINGS”というテーマで、起業家やベンチャー企業の社員の方々に赤裸々に語って頂きます。

パーソナル=一人の人間のストーリーを前面に出した内容となっているのでベンチャー企業のリアルが伝わるはずです!

ところで、2016年11月、アメリカ大統領選でドナルド・トランプ大統領が誕生しました。

これは間違いなく歴史の大きな転換点となると思います。

翻って、本シリーズでは日本から世界を変えていく起業家の転換点を伝えていければと思います。

今回、ご登場頂くのはマインドパレット・元CEOで現在は新たなチャレンジに取り組む神尾隆昌さんです。

アジア版インスタグラムとして1400万ユーザーを誇り、日本からグローバルを制するサービスとなる可能性があったSnapeeeを運営していたマインドパレット。

2016年6月に任意整理に踏み切ったことはベンチャーに関わる人々にとって大きな衝撃でした。

起業というチャレンジの中で、その多くは失敗に終わります。

失敗は語りたくないから「そこで何があったのか」は中々表に出て来ない。

しかし、ここにこそ一番の学びがあるはずです。

僕たちは誰か特定の個人を攻撃したいわけではありません。

同じ轍を踏まないため、先人起業家の知見を未来の起業家に繋ぎたいと思っています。

そして、ベンチャーエコシステム発展の一助となればと信じています。

今回、マインドパレットの始まりから終わりまでのストーリーを神尾さんの視点からお聞きしました。

ただ、あまりに衝撃的な内容なので、Web上で全てを公開することはできません。
この記事ではWeb編として一部を公開することに致します。

記事最後に、招待制ギルドである「X-エックス-」ユーザー限定とはなりますが、限られた空間でこのストーリーの全てを披露するクローズドイベントのご案内を致します。
(イベントは開催済で、今後開催する予定は今のところありません。)

それでは、日本のベンチャー界の歴史の一つであるマインドパレットのストーリーを最後のCEOであった神尾さんの視点からぜひご覧ください。

起業の失敗をオープンにし、次の起業家に繋げるimgp5792

神尾さん
お久しぶりです。

川元
(2016年)5月にシンガポールでお会いして以来ですね。
まさか、あの後すぐにマインドパレットが債務整理に踏み切るとは思ってもいませんでした。

神尾さん
(2016年)5月に(川元さんに)お会いした時はサービスのクローズと事業を整理する手続きを進めているところでした。
実は、事業を整理する可能性は今年上旬からありまして、2016年4月中旬にはステークホルダー全員とコンセンサスが取れていました。それと前後して従業員の転職・転籍のアシストや、一方でギリギリまでサービス継続の可能性を探って飛び回っていたところでした。

川元
今日はその辺りのお話を深くお聞きしたいと思って来ました。
スタートアップは難しいチャレンジであるからこそ価値が有る。
そして、そのチャレンジの結果を良いことも悪いことも含めてオープンに共有すべきだと僕は思っています。

神尾さん
その通りですね。今日は全てお話しようと思って来ました。
マインドパレットはスマホ時代に先駆けて起業し、多くの投資家から支援を受けていました。
生き残れなかったことは経営者の責任であり、大手を振ってお話できる立場には無いと思っています。
一方で、この知見を次の起業家に共有し、スタートアップエコシステムとして共有することが自らの果たすべき責務だとも思っています。
ぜひよろしくお願いします。 

川元
こちらこそよろしくお願いします。
早速ですが、1400万ユーザーを超えたサービス・Snapeeeを事業譲渡して続けるという選択肢は無かったのでしょうか? 

神尾さん
まさにSnapeeeの引き継ぎ先を最後の最後まで、具体的にはサービスのクローズを決断するゴールデンウィーク明けまで粘って探していました。
ざっと40〜50社に声をかけて7〜8社は検討してくれた勘定になります。
最終的に大企業1社と条件が纏まりそうになり、具体的な検討に入ったのですが、サービスを引き継いでも日々の運用ができないという点がネックになりました。
「運営費用(諸々足し上げて月間250万円くらい)は全然問題無いけど、ソーシャルメディアを運用できる経験値を持った人員がいない」と言われました。
それを受けて、最後まで手伝ってくれた元社員を含む全員集まってミーティングを行いまして「中途半端に引き継ぎを行うくらいなら、ユーザーにきちんと告知をして自分たちの手でサービスを閉じよう」という決断をしました。 
川元
最後はどれくらいのユーザー数だったのですか?

神尾さん
最後はMAU(Monthly Active Userの略、月間どれくらいのユーザーがサービスを使っているかを測る指標)が数十万といった感じでした。
最後の1年はサービス縮小・ピボットの段階に入っていたので大分減ってしまいましたね。
川元
事業継続に課題があったとはいえ、何十万人ものユーザーがいるサービスを閉じるのは想像以上に大変そうですね。
神尾さん
そうですね。
サービスを閉じるのはいろんなしがらみがあって難しいです。

私としてもサービスをクローズした後、2016年6月頃にお世話になった皆様にご挨拶に回っていたのですが、「(あそこまで拡大したサービスを閉じるなんて)凄い決断をしましたね」「新規事業の成功確率なんてごくわずか。むしろ止めて次に行くことが難しいですよ」と言われて、そのことに気がつきました。
誤解を恐れずに言うと、上手くいかなくなったスタートアップの多くがリビングデッドになっていると感じています。名ばかりの法人格であったり、もはやスタートアップと名乗るのはどうかと思うスモールビジネスで続けているケースが多いと聞きます。最後まで投げ出さなかった起業家が責任を一身に背負って、様々な投資関係の利害に巻き込まれて何年も事業を「続けさせられている」状態だったり。

人生を懸けてイノベーションにチャレンジする起業家こそ重要な社会的資産というのであれば、いっそのことダメになった事業は、それこそ責任持って清算して、再チャレンジするのが当たり前である社会になっていけば良いと思っています。

何故、起業したのか?imgp5789

川元
ここで、スタート地点(起業の出発点)に戻ってお聞きしたいと思います。
神尾さんは何故起業したのですか?

神尾さん
起業する前はワークスアプリケーションズでエンジニアとして新規事業部で製品開発の担当をしていました。2010年上旬に、当時同じ事業部に所属していた同僚の開発エンジニアに誘われたのがきっかけです。

チームは違ったけど、彼のダントツに凄いハードワークぶり間近で見ていたので、彼から「起業を手伝って欲しい」と言われた時に、私は「自分でもリスクを取るからパートナーとして一緒にやろう」と回答していました。即決でした。

川元
神尾さんに声をかけた共同創業者にとってはとても嬉しい返答ですね。

神尾さん
実は、私には元々起業したいという想いがあったんですが、一緒にやるなら働き方が分かっている人とやりたいと思っていたので、まさに渡りに船でした。とはいえ、何をするかは全く決まっていないまま、事業モデルゼロの状態で”ただ起業したい”という危ういスタートでした。
今思うと、当時の私たちは色んな点で甘かったと思います。

共同創業者との出だしの握り方、資本政策・・・特に大きな点はその2点ですかね。

一番最初からVCの方と実質の共同創業という形になり、これが後々まで影響してしまいました。。。

川元
VCの方と共同創業というのはどういうことですか?

神尾さん
Twitterでのやりとりがきっかけで、とある事業会社A社と出会いました。当時スタートアップイベントを企画していたA社と、起業準備していた私達とで「最初に何を開発するかディスカッションしましょう」という話になりました。

川元
Twitterでそんな出会いがあるとはw

no name
そして「今直ぐにできることではなく、3年先を見据えて成長拡大しているであろう市場・プラットフォーム・テクノロジーを予想して、そこに逸早くサービスをローンチしよう」というコンセプトの元、生まれたアイデアが「これからスマホを手にする若年層や女性が写真を通じてコミュニケーションを楽しめるソーシャルアプリ=Snapeee」になりました。

実際にプロダクトをローンチするまでに様々な出来事がありましたが、概ね順調に進んでいたと思います。2011.5.12にiOSアプリをローンチしてからは、想定外のヒットを飛ばして台湾・香港・シンガポールなどアジア各国で、AppStoreの写真カテゴリ1位を獲得していきました。

ですが、プロダクトが順調であった一方で、ファイナンスとしては致命的な失敗をしていたことに気がついていなかったのです。。。


※以下、「WEBでは公表できないので続きはイベントで…」お願いします

・・・

ファイナンスの知識がないまま事業会社からファンドへの持ち替えに(株式譲渡)に承諾してしまった自分たちにも責任があるとは思うのですが。。。蓋を開けたら創業経営陣とVCがほぼ変わらない出資比率となっていました。

出だしからの資本政策の失敗と奇跡的なタイミングでの起業imgp5799

川元
それは・・・スタートアップの資本政策としては完全に詰んでますね。

神尾さん
マインドパレットの事業は、先ほどお話した通りVCの方と一緒に事業を作っていったというジョイント事業的な側面があったのもその出資比率となった一因ではあると思います。だからこそ、その出資比率の意味を理解できていればVCともっと適切にコミュニケーションができたのではないかと後で振り返って思いました。ファイナンスの知識がその時我々にあったならと今でも悔やまれます。
当時の我々は最初のファイナンスが大きな過ちであったということに全く気がついていませんでした。それから、VCを窓口として事業会社の各事業部に紹介してもらいましたが、全く成果はありませんでした。

事業会社として採算性をシビアに判断しなくてはならないことは勿論、理解していますが、グループ企業とはいえVCの投資先はあくまで外部の会社であり、マーケティング計画に織り込むのは不確実性が高いということを学びました。

川元
なるほど、その出資比率になった背景があったのですね。CVC(Corporate Venture Capitalの略、大企業が作るVC)から投資を受けるのと、事業会社本体から投資を受けることにどんな違いがあるのかを学べます。他の起業家にとってとても貴重なお話の一つだと思います。

神尾さん
目論見が外れることもありましたが、それでも、2011年7月にはゲーム系事業会社と別のVCであるB社からシリーズAのファイナンスとして1億円余りの出資を受けることができ、将来有望な市場やテクノロジーに向けて一直線進んでいることを実感しました。

その時に資本政策について大事なことを学べました。

川元
どんな学びがあったのでしょうか?

no name
その調達ラウンドではB社の担当の方に、資本政策の甘さに関して本心からの忠告というか、なかば怒られました。て「我々VCと対等に渡り合えるくらい勉強してください!」と、(本来は投資を受ける側に見せなくても良い筈の)タームシートや投資契約書の雛形を渡されまして。。。そうして頂いた資料を必死で読み込んで勉強して、ある意味で問題の大きさに初めて気がつきましたし、その後のファイナンスを成功させる下地が身についたのです。

川元
起業家と投資家の情報量の格差は解消すべき課題の一つですね。ただ、今の起業家は磯崎さんの著書である「起業のファイナンス」を始めとして、ファイナンスの知識を簡単に学べるので、恵まれていると思います。当時(本記事公開の6年前)に比べて起業家と投資家の情報格差も縮まってきています。

ちなみに、当時はまだスマホのブームが本格到来する前ですよね?

no name
はい。私達が起業したマインドパレットは、2010年というベンチャーブームが来る寸前というとても良いタイミングで立ち上がりました。奇跡的なタイミングと言っても良いと思います。

スマートフォンが本格的に普及する黎明期にサービスをリリースでき、しかも日本で企画開発したにも関わらず最初から(何故か台湾で伸びて)海外ユーザーを獲得していくことができました。———

日本のベンチャーマーケットの代表格としての成長と後戻りの効かない資本政策・・・imgp5795

川元
ここで改めてお聞きします、Snapeeeというサービスはどんなサービスだったのでしょうか?

神尾さん
若い女性、いわゆるF1層をターゲトにした写真SNSアプリアプリです。企業・ブランドとのタイアップコンテンツ配信や、出版系大手企業との資本業務提携が実現してからは赤文字系ファッション誌の公式コンテンツをスマホに最適化して配信する、新しい形のスマホメディアとしてもサービス提供していました。

例え言葉を添えなくても写真があれば一目で感情が伝わる。国が違ってもコミュニケーションがとれるというコンセプトが功を奏して、言語の壁を超えて海外、特にアジアでSnapeeeのユーザーの裾野が広がっていきました。

川元
なるほど。インスタグラムを見ていると写真は言葉の壁を超えられるというのが良く分かります。

神尾さん
創業から1年ほどでグローバルベンチャーとしての知名度が上がって行きましたから、ある意味でフラッグシップ的な投資案件として、ベンチャーキャピタルが(彼らにとっての)投資家(Limited Partners、LPと略す)に対する説明にも(マインドパレットのSnapeeeが)多く使われていたようです。

スマホ市場が急速に広がりつつある状況で、特に海外で広がっているサービスというのが理由の一つ。そして、もう一つが、まだ当時はケースが少なかったベンチャーと大企業とのコラボの「お手本」になっていた側面。

川元
当時のマインドパレットは、日本のベンチャーマーケットにおいて代表格の一社だったのですね。

神尾さん
率直に、そう思います。
最終的には出版系大手企業との事業面での提携に加え、出資も受けました。出資自体は2014年7月が着地でしたが、その2年ほど前から事業提携に向けた調査(Feasibitily Study,FSと略す)が続いていました。

川元
大手企業との取引をするのも難しいのに、提携となると更に難易度が高いと思います。きっかけは何だったのでしょうか?

no name
そもそもきっかけとしては、シリーズAで投資していただいたB社を通じて、本体の事業会社が受け持っていたプロジェクトに参画させていただくことができたことです。
従来のマスメディア/紙媒体からソーシャルメディア/スマホにビジネスモデルをシフトするアイデアとして、特に若年人口が減少しつつある日本の現状も踏まえて、Snapeeeで獲得できるアジアのF1層ユーザーと赤文字系ファッション誌のコンテンツを組み合わせれば何かイノベーションが起こせるのではないか。
マネタイズが難しいと言われ続けてきた写真系アプリに初めてビジネスモデルを構築することができるのではないか、という構想で資本業務提携が前進しました。
ちなみに、このケースに限らずですが事業成長のきっかけを提供してくれたステークホルダーには大変感謝していますし、この時のチャンスをものにしてくれた社員の頑張りを今でも誇らしく思っています。

それから、Snapeeeを前例として写真系アプリを提供しているベンチャーに資金調達の確度が上がったり、先の出版系大手企業も次々とベンチャー投資を決めていくなど、自分達の他にも成果につながった例があったようです。

川元
マインドパレットが道を切り拓いた功績が他のベンチャー企業にも好影響を与えていたのですね。

no name
多少なりともその側面があったのではないかと思います。ただ、マインドパレットとしては一番最初の資本政策の失敗から非常に苦しいファイナンスでしたし、その後もファイナンスの度に荊の道を歩むことになりました。

※以下、「WEBでは公表できないので続きはイベントで…」お願いします

・・・

様々な困難を乗り越えてシリーズBでは1.7億円の調達、シリーズCで4億円の調達までは成功したのですが、シリーズDの資金調達ラウンドに進むことはできませんでした。そして、2016年6月にサービスを終了することになりました。入口で失敗した資本政策に最後の最後まで苦しめられました。仮に資金の出し手がいたとしても、既存のステークホルダーの協力なしには資金調達をすることはできないということを学びました。

本当の意味でのHARD THINGS〜共同創業者の離反とシリーズBのファイナンス〜imgp5801

川元
これまで起業から終焉までの目次をお聞きしてきました。ここからそれぞれの時期を更に深堀していきたいと思います。
当時を振り返って、神尾さんにとってのHARD THINGSとは何だったのでしょうか?

神尾さん
少し時間を遡るのですが、シリーズBの資金調達をしている時期が辛かったですね。会社を存続させるためにCEOを交代せざるを得ない状況になり、自分が全責任を負う立場になったことです。

川元
なんと、CEO交代とは・・・人が資産のベンチャー企業にとってトップが変わるというのは衝撃的な出来事ですね。

神尾さん
事が起きたのは2012年の終わり頃です。その年は、初めて伸び悩んだサービスのテコ入れのために大型のアップデート開発を行っており、社内がギスギスしはじめていました。当時は10くらいの社員がいて、みんな必死で働いていましたが、会社にミッションもバリューもなかったため求心力が低下していました。より具体的に体調不良になる社員もでていましたが、当時CEOであった共同創業者とはコミュニケーションが取りずらいため、病気療養のための休暇相談も言い出せない状況だったり。もちろん私からも早急にケアを行いましたが自分自身、膨大開発タスクを抱えていたため根本的な改善までは手が回りませんでした。そうして徐々に、組織崩壊に近づいていきました。その後、大型アップデートで新たなユーザを獲得するなど成果を上げる事ができましたが、今度は当時CEOであった共同創業者とVC担当者とのコミュニケーションに問題が起こり、既存投資家からシリーズBファイナンスを手伝って貰えないという事態まで関係値が拗れていったのです。

※以下、「WEBでは公表できないので続きはイベントで…」お願いします

・・・

「1.5億円か、ゼロか」絶望な目標から始まったシリーズBの資金調達でしたが、蓋を開けてみればデッドと合わせて1.7億円でクロージングできました。その後、執行役員を置いて社内のマネジメント体制を強化、台湾ドミナント戦略によるビジネス確立、スクラム開発によるグロースハックへの移行など次々と改革を打ち出して、実績を上げることで社内外に「マインドパレットは新体制で事業成長の兆しが見えてきた」と認知してもらい、実に1年ちかくの時間をかけて漸く、CEO交代に至ったのです

シリーズCでのいくつもの壁と防戦の始まりimgp5800

川元
シリーズBのファイナンスでは、CEO交代という衝撃的な山を乗り越えたのですね・・・特にその交代劇の最中の出来事は外部からでは想像もできない「現実」のストーリーがあるものですね。

その後はどういう展開になっていったのでしょうか?

神尾さん
シリーズBファイナンスの後(2013年4月以降)、当時のSnapeeeはマネタイズが追いついておらず、組織拡大に伴ってバーンレートも上がっていく苦しい時期でもありました。一方でタイアップ広告やインフルエンサーマーケティングの「はしり」であったSnapeeeGirlsによる企画制作で収益化の可能性は見えていました。それからFBを活用したアジアF1層にセグメントしたアクイジションの独自手法(代理店を通さず、交渉してFBに直アカウントを開けてもらって、自社で広告施策を行っていた)が上手くいっており、このタイミングで広告宣伝費を大きく積んで市場シェアを占有し、一気にマネタイズに進みたいところでした。

川元
シリーズBのファイナンスで命を繋いだ後、「攻め」に転じたいという時期だったのですね。収益化というのは具体的にはどこから売上を立てる算段だったのでしょうか?

no name
雑誌に広告を出稿する国内大手企業が一つのターゲットでした。

雑誌業界にスマホで革命を起こし、雑誌広告の在り方を変えようと考えていました。

また当時、とある出版系大手企業には、業界を巻き込んで新しい形のスマホメディアを立ち上げようという意図がありました。彼らは特に女性向けファッション誌のビジネスモデルにイノベーションを起したいと考えていたのです。

そこに白羽の矢が立ったのがSnapeeeでした。Snapeeeが日本に憧れを持つアジアのF1層ユーザと同社が保有する赤文字系の雑誌ブランドは相性が良いのではないか。更に、モデルやファッションブロガーなどインフルエンサーとを繋ぐ情報チャネルとしてSnapeeeが適しているという評価を受け、同社とコンテンツ提携をすることになりその後、資本業務提携へ発展することになりました。

川元
その出版系大手企業との提携という新しい取り組みを進めるにはプロダクトも進化させなければならなかったのではないでしょうか?

no name
まさにその通りでした。このチャンスをものにするためアプリUIを大幅にアップデートする開発を進めました。また、海外にコンテンツを配信する体制、出版系大手企業と歩調を合わせての営業スキームもを構築していきました。どんどん減っていくキャッシュ残高を睨みながら絶対に外せない1手を打ち続けるような緊張する毎日が続きました。立ち向かう課題の難易度に社内外から様々な批判を受け、人と組織に関する問題も起きていましたが、あくまでスタートアップらしく成長するために「打席に立ち続ける」ことに拘ってアクセルを踏み続けました。

川元
キャッシュ残高を睨む一方で、人と組織の問題が起きるって、聞いてるだけでヒリヒリしてきますね・・・

no name
まさに毎日困難にぶつかりながらも着々と準備を進めて、いよいよ最後の1ピース、大きく勝負をかける為の資金力が必要でしたが、このタイミングで支援に加わっていただいたのが新たなVCであるD社でした。この時、同時並行で既存投資家の株式譲渡を手伝わざるをえない状況があったりと、通常ではありえないくらい難易度の高い交渉を行っていました。

※以下、「WEBでは公表できないので続きはイベントで…」お願いします

・・・

紆余曲折あって、何とか総額4億円となるシリーズCの資金調達を終えることができましたが、この時の経験から「途中で船を降りる」ようなステークホルダーとは付き合ってはいけないし、時間を割くべきではないということを痛切に学びました。

川元
シリーズCのファイナンスの舞台裏ではこんなドラマがあったとは・・・表からでは計り知れないことばかりです。

no name
表には出しにくい話ですね・・・

本来であれば既にマネタイズできているミドル・レイターで調達するような金額ですし、最初の資本政策の失敗も相俟って既存のステークホルダーからは「奇蹟的な調達だった」とまで言われた資金調達ラウンドでした。この状況で大きく勝負に出るのは(今現在のベンチャーシーンとしては)「無謀な賭け」と言われても仕方がない状況かもしれません。しかし当時の私たちとしては「日本発信のグローバルベンチャーとして、シリコンバレー勢の向こうを張って「王道」の戦いを挑もうとしていたのです。

 

以上、

 

ここまでが1stリリースです。量が膨大で編集が間に合わず・・・このタイミングで完成したところまでオープンにすることにしました。全体の7割くらいのところまで来ているのですが、完成したら追記させて頂きます。
特にベンチャーファイナンスに関心のあるお方、いかがでしたか?

 

【編集後記】
僕がベンチャー企業に興味を持ち始めたのが2012年6月頃。まだ銀行員の時でした。

ちょうどそのタイミングでマインドパレットの名前を知り、同社に間借りしていたKaizen Platformに飛び込みで営業しにいったことがあります。

そのマインドパレットが今年の6月に任意整理したと聞いた時は心から驚きました。

今回、神尾さんのお話の全てを公開することができず心苦しくあります。

然し、累計7億円を調達したスタートアップが破綻し、そこで何が起きたのか。

その端緒を描くことはできたと思います。

そして、このHARD THINGSを糧に新たな一歩を踏み出した神尾さんのチャレンジが心から楽しみです!近い将来、日本から新しい未来を創っていかれる方のお一人だと信じています。

もし、ここに書いてあることについてより深い情報を聞きたいという方がいらっしゃいましたら年明け1月にX-エックス-ユーザー限定のクローズドなイベントで全てお話し頂く予定です。
(イベントは2017年1月に開催済で、今後開催する予定は今のところございません)

 

改めまして、弊社では、起業家と心に火のある大企業ビジネスパーソンが仲間となる「X-エックス-」の運営を行っています。

X-エックス-とは?
”世界を変える仲間とツナがる”
をコンセプトにしたギルド。
大企業とベンチャー企業が個人レベルで繋がり、仲間になる招待制の超企業コミュニティ。

完全招待制のコミュニティとなりますが、下記Facebookアカウントへメッセージを頂ければ、代表の川元が気軽にご説明させて頂きます。

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