Atsuko Miyashita
大手電機メーカーの海外営業、広報を経て独立。アメリカ在住。
幼少期と大学時代をイギリス・ドイツ・ブラジルで過ごした経験から、比較文化に強い関心を持つ。
2016年12月よりエックス会員。Xブログ運営の主要メンバーとして携わる。
http://matching-project-x-blog.com/
この記事は、X-エックス-が2月に行った上海の視察から学んだことをまとめたものです。
他者を知ることで、自らを振り返る。
そのためのヒントになればという思いから、異文化についてのさまざまな考察をお届けしています。
パンダなのか龍なのか
私が中国本土に足を踏み入れたのは、今回の視察が初めてのことだった。
しかしそれ以前にも、日本やイギリスなど中国の外で多くの中国人に出会い、接してきたため、幾分その国民性については理解しているつもりだった。
接するたびいつも驚いたのは、彼らのまっすぐで素朴な面と、非常にドライで強気な面とのギャップだ。
後者は日本人の国民性と異なるため、中国人に対してはそちらのイメージを持つ人が多いのではないだろうか。
ストレートな物言いで主張し、簡単には譲らないところなどに触れると、時に冷たい印象さえ生まれるかもしれない。
しかし同時に中国人は非常に人情に厚い面もあり、私も幾度となく助けられた経験がある。
本記事の前編(※上海の衝撃 上)で、中国はアメリカなどと同様「不信」をベースにした社会だというお話をしたが、そこから見ず知らずの人によく話しかけるフレンドリーな文化が生まれたアメリカと違い、中国では初対面においてシャイな人たちも多い印象がある。
上海では、アメリカのようにエレベーターやカフェなどであちらから声をかけてくれることは少ない。
しかしこちらから挨拶したりすると、何とも言葉では表現しがたいとても純粋な照れ笑いを返してくれる。
あのくしゃっと恥ずかしそうに笑う表情には、アジア以外ではあまりお目にかからないピュアで澄んだ空気が宿っている。
その表情を見ると、私も心の底から笑顔になってしまう。
その時の気持ちは、中国のシンボルであるパンダを見て、無条件に愛おしく感じる時と似ているかもしれない。
中国に対する他の国々の外交上の態度について、こういう言葉があるのをご存じだろうか。
“Panda hugger and Dragon slayer”
前者は中国の象徴である「パンダ」を抱きしめる人の意で、親中派を表す。
後者は同様に中国の象徴である「龍」を殺す人の意味で、反中派を表している。
中国という特殊な国を取り巻く各国のジレンマが見えてくるおもしろい言葉だと思う。
逆に、他の国々に対する中国の外交上の態度を表したこんな言葉もある。
“笑顔で左手で握手をしながら、右の後ろ手に棍棒を握る”
・・冷静に考えると恐ろしい光景だが、きっとどちらも本当の姿だ。
屈託のない純粋な笑顔も、非常に合理的で抜け目のないところも。
まっすぐで人情に厚いところも、簡単には譲らない頑強な性質も・・。
―捉えようのない様々な面が一緒に映って見えたとしても、どちらもこの国が長い歴史の中で育んできた真実に過ぎない。
きっとそれ以上にたくさんの性質が混在し、簡単に「正義」と「悪」に分けられないのが、中国だけでなくこの世界の真理なのだと思う。
今回中国のことを知れば知るほど、この国で生きていくことの厳しさを知った。
農村と大都市との間にある大きな格差と越えられない壁。
都市の豊かな人々も、いつ政策の転換で牙城が崩れるかわからない不安。
そして生活レベルから張られているさまざまな規制。
龍たちが目をさまし、狼煙を上げる日はこないのだろうか。
その疑問について、上海に暮らす日本人駐在員と現地の中国人たちの見解は一致していた。
恐らくないだろう。経済の右肩上がりが続く限りは―
では、私たちの住む日本はどうだろう。
右肩上がりの成長なんてない。
でも、いろいろな問題や先行きに対する不安はありながらも、おしなべて穏やかな世の中だと思う。
日本人以外の人とある程度打ち解けてくると、かなりの確率で質問されることがある。
なぜ日本人はあまり感情を露わにしないのかということ。
常に親しみやすく微笑み、どんな場面でも怒りなどの負の感情をあまり出さないといったような印象をよく聞く。
違う文化で生きてきた人たちにとっては、不用意にぶつからず、和を尊ぶ日本人の姿を尊敬しながらも、その真意が推し量りづらいとも思うようだ。
私自身、怒りという感情を感じづらいという悩みを持っている。
そもそもそんな感情が本当に存在しなければ構わないのだが、その奥底にはどうも感情にまで到達せず沈殿した何かを感じることがある。
優しい中国の人たちの笑顔に、上海の便利で裕福な毎日の中に、そして政府をドライに見つめる姿に・・。
ちらりと龍が宿って見えたのは、私自身の鏡写しだったのかもしれない―。
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