「死ぬまでずっと楽しく過ごすためにどうすればいいか」を考えてみた

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僕の実家は母方の祖父が始めた家業をやっているのだが、事業の将来性なのか父親の婿養子としての苦悩があったのかは分からないが、息子に継がせようと思っていなかった節がある。そのせいか、僕は親からの指図を全くされないで育ってきて、自分の頭で考えるのが身に染み付いている性分だ。

そんな中、一番興味が惹かれるテーマは、

「死ぬまでずっと、楽しく過ごすためにはどうすればいいんだろう?」

というものだ。

小学生の時に直感で感じたのは「得意なことは楽しい」ということだ。

僕が小学校3年生の時にJリーグが開幕したのだが、その2年前からサッカーを始めていた僕は足は遅かったがテクニックで先行していて、点を取るのが楽しくて仕方がなかった。

小学校5年生から始めた塾や、中学高校の勉強も僕にとってはドラクエのようなゲームに近くて点を取るのが楽しかった。

道の先に終わりはないものの、サッカーや勉強はどこまでいっても僕にとっては空中戦のような感覚があり、それ以上の楽しさが見つからなかった。

何か、手応えがない。

大学時代は前半はテニスと飲み会と麻雀をしながら恋愛に悩むといういわゆるキャンパスライフ的な毎日で人生に必要だったものの、心から楽しいかというと何かが違った。

後半は計量政治学という統計と政治をかけ合わせた分野で睡眠時間を削って政策提言を捻り出した。
膨大なデータを用いて分析するという未知の分野に対して己の力の無さを痛感しながらも、壁を乗り越えてなんとかできるようになった。
でも、できるから楽しいかというとやっぱり違う。
やってきた活動が社会に繋がったわけではない。
高校の時は漠然と外務省か国連かという淡いイメージがあったが、地に足のついた民間企業に行きたいと思った。

 

次に得られた感覚は「お金を稼ぐと楽しいのでは?」というものだ。

メガバンクに入って1年目の冬、人生で始めて1.5億円を融資した時は高揚感があった。

お金には社会との着地感があった。

僕にとっては銀行時代は苦しい期間が長かったものの、なんとか山を乗り越え、3桁億円くらいまでのお金を動かす仕事をする中で「お金の量を追う」ことだけでは何かが違うという実感があった。

取引先の社長の中には莫大な資産を持っている方もいたが、お金を持っていることが楽しさに直結しているとは思えなった。

僕はサラリーマンレベルではあるものの、ある程度の給料を得て、色んなものを買ったけど、お金を使うだけでも何かが違った。

 

さて、困った。どうやったらより楽しいことに出会えるのだろうかと苦悩とする中で出会ったのがベンチャーの世界だった。

「挑戦者を応援する」

リスクを取って起業というチャレンジをする挑戦者を応援する。

これは楽しい。

VCの仕事も僅かな期間だけど、やってみて金融の中では天職に近いと思った。

いい感じだ。

ただ、応援していると自分もチャレンジをしたくなる。

心が炎のように燃えている起業家に接していると、自分の心にも火がついてしまった。

 

「事業を創造する」

消費する楽しみと創る楽しみは全く違う。

銀行に勤めながら起業の準備をした。

やったこともないWebサービスを創っていくのはとても楽しかった。

これは更に良い感じだ。

ただ、起業している人が全て楽しいわけではない。

僕は今まで多くの起業家に接して来たが、一見華やかに見える起業家もその内実は苦しみの極地にいたりする。

 

果たして、事業を創る先には何があるのだろうか。

偶然の出会いから生まれた波に乗っかり流れてみて、挑戦するパパ達のコミュニティの立ち上げや外部から企業のサポーターとして力を投じている。

そうした取組に共通するのは

「企業を超えた繋がりから社会を変えていく」というものだ。

 

これはもう最高にワクワクする。

自分のお金になるからやる。

自社が儲かるからやる。

それももちろん大事だけど、それだけじゃない。

 

個人とか企業とか色んな垣根を溶かしていくと、社会に潤いが生まれるのではないだろうか。

 

僕は幼少期の原体験から「明日死んでも悔いの無い生き方をしたい」と自然に思っている。

人生には誰しも終わりがある。

しかも、それがいつ来るのか誰にも分からない。

だからこそ、一瞬一瞬を僕は楽しみたいと思っている。

 

ふと、祖父の話を思い出す。

第二次世界大戦の後シベリアに抑留されていて、日本に帰った時に起業。

元々の大工の腕を活かして家を建てる仕事をした。

戦争という日常から分断された空間から焼け野原に戻ってきて、人の住まいを作ることを仕事にした。

その仕事を紆余曲折を経て父が継ぎ、きっと僕にもその精神が息づいているのだろう。

 

僕の4歳の長女はよく会社に行く夢を見るそうだ。

お友達がたくさんいて、一緒に踊ったんだよ〜というおよそ仕事とはかけ離れた会社のようだけれども、ともかく仕事は楽しいということは伝わっていそうだ。

きっと自分でも認識していないレベルで先祖代々の文化的な遺伝子も受け継がれている。

 

僕の娘達が大人になるとき、果たして今の日本の大企業はどれだけ残っているのだろうか?

いい大学いい会社という日本に流れる暗黙のメインストリームは過去の遺物となっていることは容易に想像できる。

もしかしたら通貨すら変わっているかもしれない。

その間のバトンは僕たちに託されている。

バトンを持って走れる期間はいつ終わるか分からない。

だからこそ今を楽しもうじゃないか。

世界は信じるに値する。

どこかでぱたっと倒れたとしてもきっと誰かがバトンを受け継いでくれる。

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こんな話を僕のリスペクトする人生を楽しんでいる先輩お二方と11月7日の夜に語る場を開催します。

冬の入口にさしかかった季節ですが、お時間のある方、ぜひ遊びに来て下さい。

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