
最近、ベンチャー企業に興味が出てきたけどベンチャーってイマイチよく分からない・・・
そんな方の心に響く情報を提供するブログメディア「大企業からベンチャーへ powered by X-エックス-」から新コンテンツをお届けします。
“それぞれのHARD THINGS”というテーマでベンチャー企業の起業家や社員の方々に赤裸々に語って頂きます。
パーソナル=一人の人間のストーリーを前面に出した内容となっているのでベンチャー企業のリアルが直に伝わってくるはずです!
第一弾はインターネット・セキュリティー分野のベンチャー企業として20年以上活躍する株式会社HDEの4人目のメンバーとしてジョインされ、ご活躍する天野治夫(アマノハルオ)さんです。※黒字はMi6川元、普通の書体は天野さん
目次
幼少期の出来事と今の生き方

情報源: 原点回帰! 初心に戻ってファミリーコンピュータ! | RENOTE [リノート]
早速ですが、幼少期はどんな子供だったんですか?
1975年に、4人兄弟(兄姉兄)の末っ子として、東京都杉並区で生まれました。
両親は九州出身で、九歳年上の長兄は九州生まれです。
末っ子なので甘やかされていた一方で、幼稚園のころから小児ぜんそくが酷く、登園できずに自宅でTVアニメを眺めたり、夜中にも発作がでて横になれず、座ったまま未明までゼイゼイしていることが日常的にありました。
大変な幼少期だったのですね・・・
はい。小中学校時代も基本的には病弱系だったのですが、なんとなくスポーツ全般が好きで、陸上クラブやサッカークラブに入っていました。
一方で、1983年7月に、任天堂から初代ファミコンが発売されたのですが、最初は近所の幼なじみ宅で初めてマリオブラザーズ(≠スーパーマリオ)をやらせてもらい、翌年には我が家にもファミコンがやってきたので、すぐ上の兄と大いにハマりました。
また、小学校高学年頃から数年間、マリオブラザーズの幼なじみに誘われて珠算教室に通いました。
このときに培われた暗算力は、現在でも公私ともに大変役立っています。
僕の生まれた年に発売されたファミコンがきっかけでテクノロジーと出会ったのですね。(やっぱり任天堂は凄い!)
そうなんです。父や兄たちが新しいもの好きで、ファミコン以外にもベータマックスビデオや初代ウォークマンなど、テクノロジーに触れる端緒がそこそこありました。
ちなみに、ゲームは今でも大好きなのですが、ゲームの素養はビジネスで大いに活かされていると思います。昨今の文脈でいうとコンシューマライゼーション(個人で流行ったものが→法人に波及)みたいな(笑)。
例えば、ファミコンでウィザードリィというゲームが好きだったんですが、
あっ、あのすぐにゲームオーバーになる激ムズのゲームですよね。僕もやったことあります。
そうです(笑)。
このゲームの本編クリア後の地道なレベル上げが病的に好きだったのですが、これはのちに計数管理などの仕事で活きました。
数字を一つ一つ積み上げていく際などに、当時と同じような精神状況になるんです。
不思議ですね。
当時珠算でも同じような心境でやっていて都大会で優勝までしました。
僕も暗算の段位持っているのでわかるのですが、都大会で優勝ってとんでもなく凄いですね!
ゲームのお陰ですね(笑)
会計に打ち込んだ大学生活とベンチャー企業との出会い
少し飛びますが、そういう幼少期を経た後でなぜベンチャー企業にジョインしたんですか?
私立の大学付属高校から法学部に内部進学して、球愛会という球技を何でもやるオールラウンドサークルと、緑法会という法律勉強サークルに所属していました。
入学後、少し経ってから、たしか大学生協で、公認会計士試験の選択科目が、経済学・経営学に加えて民法も選べるようになって云々なので是非ぜひ挑戦しよう!というようなパンフレットをみかけて、突然やる気がでて(^^)
天野さんは早稲田大学の付属校出身ですよね。真面目な大学生だ。
ただのノリです(笑)。
大学2年生の春から、会計士予備校の2年本科生に入り、毎日電卓を叩くようになりました。
監査法人で働くようになれば、仕事柄、色々な会社をみることができるのではないかという漠然とした憧れがあったのと、付属校から進学したため大学受験を経験しておらず、何かしら勉学に打ち込みたいという気持ちがあったのだと思います。
四年生で初めて受験した論文試験では不合格、1年間だけ自主的に留年させてもらい、1999年夏に受験した二回目の論文試験ではそれなりの手応えがあったのですが、同年の秋に発表された結果は不合格でした。
これは採点した人が悪いとすぱっと諦めました(笑)。
そういう割り切り大事ですよね。
ありがとうございます(笑)。さあ一般企業に就職だ!ということで、
SONYとゲームが大好きだったので、SCE(ソニー・コンピュータエンタ テインメント、現SIE, ソニー・インタラクティブエンタテインメント)の財務部門と、大学図書館で眺めていた経済誌の特集記事に掲載されていたベンチャー企業2社(デジタルガレージさんと、ホライズン・デジタル・エンタープライズ→現HDE)に応募しました。
HDEは当時4期目が始まったところで、経理のアルバイトをしていた学生さんが、他社への就職が決まったのでもうすぐ退職予定ということで、ちょうど後任の経理担当者を探しているところでした。
1999年10月に、現在も道玄坂にあるスカーレットという喫茶店で副社長の永留と面接をして、ありがたいことに、採用するので来月から入社してくれという連絡をその日のうちにもらいました。
(HDEさんの)採用の決断が早いですね!
みんな20台前半で若かったのもあると思います。
可能であれば社長と話してから決めさせて欲しい旨を伝えて、翌週に、同じく現在も道玄坂にあるカフェ・ド・クリエで、社長の小椋ともう一人の副社長の宮本と会って話をしました。
細かい内容は覚えていませんが、社長の小椋が、「そりゃ社長と会っておかないと入社するかどうか決められないよね」というような共感を示してくれたことと、副社長の宮本が白衣を着ていた(当時そのコスプレに凝っていたらしいです)ことを覚えています。
面白そうだし、悪い人たちではなさそう。自分は勉強ばかりやってきたけど、この人達は同年代なのに起業していて、自分と全く違うことをやってきていて何だか面白そうだぞ!ということで、入社することを決めて、翌月の1999年11月1日に入社しました。
天野さんにとってはここがベンチャーへの世界の入口だったのですね。ところで、前から疑問だったのですが、社名のHDEってどういう意味なんですか?
HDEはホライズン・デジタル・エンタープライズの略で、テクノロジーを開放して目指す「知の到達領域」というような意味合いが含まれています。
最初はそのままの社名だったのですが、名乗るのが大変で短くしました(笑)。
でも、社名が長かったからこそ、雑誌を見た時に自分の目に留まったのではないか思っています。
初めて知りました(笑)そのHDEさんはどんな事業をやっているのですか?
HDEは1996年に設立されたベンチャー企業で、主に法人向けのソフトウェア・ソフトウェアサービスを開発・販売しています。
現在はクラウドセキュリティ(Microsoft Office 365 や Google Apps for Work などのセキュリティを高めるクラウドサービス)、メール配信システム(ユーザー企業のデータベースと連携して、1時間あたり数十万通〜数百万通のメール配信を行うシステム)、サーバー管理ソフトウェア(Linuxサーバの運用管理を行うパッケージソフトウェア)などの事業があります。
難しく聞こえますが、技術面での守りが強いってことですね!
はい(笑)。
入社初日から、HARD THINGSの洗礼
それでは、いよいよ本題です。ベンチャー企業にジョインしてからのHARD THINGSを教えて下さい。
入社初日からHARDTHINGSの洗礼を受けました。入社日したその日に、「ところでお金がありません」と(笑)。
ちなみに当時は取締役3人のほか、私が4人目の正社員として入社しました。
そのほかにアルバイトが20名弱くらいいたかな。
なんと、入社初日ですか(笑)この会社大丈夫かなと思うくらいの衝撃ですね・・・で、どうしたんですか?
この会社大丈夫かなと思いましたよ(笑)
とりあえず銀行に電話して、翌月には信用保証借り入れを行うことができました。
今振り返ると、ラッキーだったのはまだ24歳そこそこの何も知らない自分が、いきなり第一線で学べたということですね。
同じく入社翌月にはエンジェル投資家や某ブティック型VCからの出資を受けて、大手のVCや監査法人の出身者からハンズオンのサポートを受けたり、合同で毎週経営会議を行ったりして、大変勉強になりました。
入社当時はいわゆるビットバレー時代。インターネット・インターネットビジネスの黎明期で、ネットエイジさんも、近所の神泉で活動されていました。
※当時のベンチャー地図を、インターネット界隈の至宝、調べるおさんがまとめてくださっています!
http://takanoridayo.blog.shinobi.jp/Entry/407/
HDEはハードウェア事業からソフトウェア事業に転換していく時期で、1999年末から2000年頭にかけて、社長の小椋と一緒に資金調達に奔走しました。
その時はいくら調達したんですか?
過去に何度か、増資の際にプレスリリースを出しているのですが、当時から現在に至るまでの調達総額としては、6億円強程度です。
その当時の6億円の調達というのは大きい金額ですよね。その入社当時の危機を乗り越えて、しばらく順調にいったのでしょうか?
はい。
資金調達前後は事業規模もそれほど大きくはなかったので、調達した資金を人材採用などに投資して、1年間で正社員が30名ほど増えました。
そして、新たに株主になってくださったサンブリッジさん(ベンチャーキャピタル)が、2000年春にできたばかりの渋谷マークシティのオフィス棟に、ベンチャーハビタットという、自社オフィス+投資先オフィスという、おそらく東京では最初のインキュベーションオフィスを立ち上げたので、そちらに移転・入居させてもらいました。
その後、さらに増員などしたため、翌2001年には、同じく株主になってくださった東急電鉄さんが新設された、神山町にある、ビットキューブというインキュベーションセンターに移転しました。
ところが、2001年の終わり頃に資金繰り予測表を更新してみたところ、なんと半年もかからずに資金が底を付くことが判明しました。
ITバブルの崩壊、初めての大型資金調達、私の計数管理の未熟さ、色々な要因があったのですが、創業以来初めてリストラをやらざるを得ない状況に陥りました。
その後に約1年間かけて、四半期の人件費ベースで40%強程度の削減が行われました。当然私も減給です。従業員や投資家に、誠心誠意、現状と今後の見通しを説明しました。
そして、会社事業や組織体制を再構築しながら、生き残りをかけたファイナンスに奔走しました。
この時には既存投資家とその各担当者さん達にも大変に尽力・応援していただいて、本当にギリギリのタイミングで追加出資を受けて、何とか生き残ることができました。
僕は残念ながら直接知りませんが、歴史的にはインターネットバブル崩壊の時期ですよね。
はい。
私もすっかり忘れてしまっていたのですが、先日、「HARD THINGS(ベン・ホロウィッツ著)」を読んで思い出しました。
われわれだけではなく、業界全体がとても苦しい時代だったんだなあと。
リーマンショックの谷を乗り越える
ここを乗り切った後は順調だったのでしょうか?
そうですね。
その翌年にはセキュリティ分野の新しいソフトウェアの販売が開発されるなどして、事業の幅も徐々に広がっていきました。
その後、2007年くらいまでは業績もジリジリ伸びていきました。
しかし、今度はリーマンショクの煽りを受けました。当時HDEの事業ポートフォリオの中ではSI(システム受託開発)が大きくなっていて、某都銀様の大規模メール配信システムなど、クライアントは金融・通信などの大手企業が多かったのですが、マクロの煽りを受け、案件の延期・中止などが相次ぎ、業績が短期間で急激に悪化しました。
そして、2010年に再びリストラ(当時私は35歳でした)が実施されました。
ただ、この時には過去の経験などを踏まえて、ある程度の近い未来を予見して、前回の困難よりも早く環境悪化を捉えることができるようになっていたのではないかと思います。
(某都銀というと、僕が使っていたメールシステムはHDEさんが作っていらっしゃったのかもしれませんね!)予見というのは、この流れからするとまた必ず危機が来るということですね。
はい。
この時には資金調達はせずに、規模の縮小だけで乗り切ったのですが、またリストラをせざるを得ない状況に陥ってしまい、申し訳ない気持ち・情けない気持ちでいっぱいでした。
8年前とは違って、社員含む関係者の数も増えていましたし、社員の平均年齢も高くなっていました。
当時、会社の雰囲気は悪かったのですか?
いいえ。
残ったメンバーで淡々と頑張るという感じでした。
それ以前もそうでしたが、ベンチャー企業というのは、とにかく全員が全力投球しないと生き残れない・活路が見出だせないので、密度の濃い時間がそのまま続いている感じでした。
また、私は、会社が無くなってしまうかもしれないというような類のストレスをあまり感じないタイプの人間です。
会社に危機が訪れるたび、その最中に「大丈夫!なんとかなる!」と断言する役割を担っていることが多かったですね。
これは生まれつきの性格だと思っていて、高校生くらいの頃から、天野ってなんだか根拠のない自信があるよねと言われることがよくあります。
この後の数期間は赤字決算が続き、とても苦しい時代でした。
今は(HDEさんは)とても好調に見えるのですが、この後はどういう感じで推移していったのでしょうか?
2011年の震災以後は、クラウドセキュリティーの機運が一気に盛り上がって、業績が上がっていきました。
元々、クラウド型のメールセキュリティサービスの開発・販売が始まろうとしていたところに、国内の多くの企業が、業種を問わず、オンプレミス(据え置き)型のメールシステムからクラウド型のメールシステムに移行するという、大きな波がやってきたのです。
金融に身を置いていた僕としてこれは示唆的ですね。金融のみの危機の時は逆風。その後のハード+金融の危機という震災はHDEさんにとっては追い風になったということなんですね。
はい。
双方の危機の際にはとても多くの方が苦労されたと思いますが、何がどう転ぶかは分からない・・・不思議なものですね。
今現在のHARD THINGSと自分の将来
では、今現在のHARD THINGSをぜひ赤裸々に教えて下さい!
今現在だと、会社のグローバル化ですね。
流れをお話します。
震災があった年以降、クラウドセキュリティサービスが大きく伸びていきましたが、事業の成長に見合うだけの優秀なエンジニアの採用がほぼ全くできていないことが、最重要かつ中長期の課題でした。
その頃に、とある御縁がきっかけで、外国人学生インターンを通年で受け入れるようになり、その中から入社してくれるエンジニアも出始めて、開発部門を中心に、会社がグローバル化していきました。
この辺りのことは、下記にまとめてあります!:
DAY 12 : Something Very Bizarre – HDE Advent Calendar 2014
hde-advent.hatenablog.jp/entry/2014/12/12/000108
最近はエンジニアだけでなく、セールス・マーケティングの外国人インターンも受け入れるようになりました。
また、嬉しいことに、その受け入れ自体もインターナショナルのチームで遂行されるようになっていて、現在までの約3年半で、14ヶ国から35名を受け入れていて、来月・来年以降のインターンシップも、すでに10名ほどの内定が出ている状況です。
グローバル化に伴って、HDEは社内公用語が2016年10月から英語になります。
元々日本人ばかりの会社だったので、切り替えることがとても大変です。私自信も国外に長期滞在した経験がなかったので、ここ3年間くらいは、毎日一生懸命、英語の勉強をしています。
英語の学習が必要な社員には、様々な学習プログラムを企画・提供していますし、もちろん言語だけでなく、様々な信仰やライフスタイルへの配慮など、ダイバーシティ向上やインクルージョンの必要性が急激に高まっています。
これが今現在のHARD THINGですね。
会社のグローバル化、エキサイティングでとても素晴らしいですね!今振り返ってみて、天野さんは創業初期のベンチャー企業に参画して良かったですか?
良かったですよ!
父は財閥系の製鉄会社に勤務していたのと、兄姉たちもよく名前が知られている銀行やメーカーに就職したので、なんとなく、自分はそういったところではない、新しいところで頑張りたい・頑張らなければならないという妙な使命感のようなものがありました(笑)ちなみに、私もいつかきっと起業すると思います!
おぉっ、意外です!天野さんはHDEさんの幹部としてこのまま活躍されるのだと思ってました!
現時点でやりたいことは今の会社なので、いつになるかは分からないです(笑)。
その時はもちろん!起業家としてX-エックス-にお世話になりたいです!!
その時はこちらからもぜひお願いします!(笑)ちなみに、将来きっと(自分が)起業すると思っていらっしゃるのは何故なのでしょうか?
現在とは違う立場でビジネスを行うことには興味がありますね。
ただ、HDEの中での私の立場は、比較的ユニークなのではないかと思っています。
取締役たちからは社員だと思われているのですが、多くの社員からは取締役(役員)とか創業者だと思われています。
このような立ち位置にいると、自分でも両方の立場からの視点を持つことになるし、両方の立場の人たちとも本音ベースで話せるので、例えばある事柄について、片方だけの立場の人たちよりも沢山の視点を持つことができたり、より多くの情報をインプットできたりすることがあります。
もしかすると、そこがこれまでのHARD THINGSを乗り越える上で、自分が果たした大きな役割だったのかもしれないですね。
いま思い返しても、その時々で、これは自分しか知らないとか、このことについては、いま自分しか、この人には伝えることができないとか、いま目の前で決定しそうなこの判断を適切に曲げられるのは自分しかいないとか。
この辺りの詳細については流石に言えないことが多いのですが(笑)そもそも、そういう立場にある、あるのではないかと思っている自分と、しっかりと腹を割ってコミュニケーションをとってくれる仲間たちに恵まれてきたことが、とても有り難いことだと思っているのですが、結局、企業というのは人の集まりなのだなあと思っています。
今まで果たして来られた天野さんのご役割、とても勉強になります。こうやってHARD THINGS=困難を乗り越えて、天野さんは何を目指しているのですか?
正直にお伝えすると、いま現在は、あまり目指しているところはありません。
とても素直ですね。
はい。
自然体という感じです。使命感はなく。
ただし、ちゃんとした会社、新しい技術で、新しいものを生み出して、社会に貢献できるような会社を、内外の関係者たちと一緒に一生懸命作っていきたい・残していきたいという想いは強いです。
仕事は楽しいか?家族は支えてくれるか?
このやり取りをしていて伝わってくるものがあるので聞くまでもないかもしれません。が、敢えて聞かせて下さい。事業(仕事)は楽しいですか?
仕事はとても楽しいですよ!
もちろん沢山のHARD THINGS がありますが、個人的にはそのような困難も含め、大いに楽しんでいます。
これって有り難いことですよね。
その楽しさがとても良く伝わってきます。世の中に仕事を心から楽しむ人を増やす。自分が一番楽しむ!というのが僕個人のmissionなのでそれが聞けてとれも嬉しいです。人生の中で家族との関係もとても大事だと思います。ご家族は応援してくれていますか?
はい(^^) 応援してくれています。
妻とは大学生のときにサークルで知り合い、2002年の夏、私が26歳のときに結婚しました。
1999年暮れのHDE入社後、妻と同居を始める前の約2年間は、HDEの同僚とルームシェアしていたことや、HDEのほかの仲間たちとも、一緒に家族旅行にいったり、スポーツをしたりしているので、現在でもHDEメンバーと仲良くさせてもらっています。
ちなみに、その結婚ってまさに一回目のHARD THINGSの最中ですね(笑)
そうなんです!
当時会社がうまくいってなかったので、景気付けに結婚したのだ!と主張しています(笑)
会社がうまくいってない時は、妻にもそのまま伝えていました。
ちなみに、当時、札幌に住んでいる彼女の両親に初めて挨拶したときには、「今をときめくインターネット企業のCFO」と紹介されてしまったのですが、会社は最初の危機的状況を脱したばかりだったので、もうなんとも言えない感じでした(笑)。
また、義父は大学の先生をやっていて、研究室を訪問したら、なんど本棚の下のほうにHDEのソフトウェアの箱が並べてあって、研究室のネットワーク担当者さんが設定・管理で使ってくれていることを知りました。
このときは物凄く感動しましたね。我々の製品、北の大地まで届いているぞ!って。
最後にアピールをどうぞ!
そろそろ時間が迫ってきました。せっかくなので今のHARD THINGSを乗り切るためにこの場を使ってアピールをどうぞ!
ありがとうございます!
もしも、日本人だけでスタートしたベンチャー企業の、人材および事業のグローバル化についてご興味があれば、または、あなたが東京渋谷でインターン・フルタイムの仕事を探しているギークエンジニアか、そういった友人を知っていたら、ぜひ、下記のページをご覧ください!/紹介してください。
よろしくお願いします!
HDE Global Internship Program
https://www.facebook.com/hde.global/
楽しい時間は早く過ぎるもので・・・そろそろお時間ですね。天野さん、赤裸々なHARD THINGSをお話下さりありがとうございました!
こうやって振り返る機会が今までなかったのでとても新鮮でした。
ありがとうございました。
【編集後記】
Mi6川元です。
皆様、HDE・天野さんのHARD THINGSいかがでしたでしょうか?
天野さんとは僕が起業したすぐ後に知人の紹介の紹介で知り合いました。
弊社サービスのユーザー限定イベントを開催する場所として、コスト面で良い会場が見つからない中、HDEさんのオフィスを快く無償でお貸し下さるとことから始まりました。
天野さんは笑顔が素敵な方なのですが、その背景にはこんな困難があったのかと改めて深く知ることができました。
新コンテンツ”それぞれのHARD THINGS”では、このようにベンチャーで活躍する一人一人のパーソナルストーリーを赤裸々にお伝えしていきます。
大企業の方にとってベンチャーがより身近になれば記事を書いた当人として本望です。
そして、最後に僕から最後に営業をさせて下さい(笑)
改めまして、弊社では、起業家と心に火のある大企業ビジネスパーソンが仲間となる「X-エックス-」の運営を行っています。
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”世界を変える仲間とツナがる”をコンセプトにしたギルド。
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