Atsuko Miyashita
大手電機メーカーの海外営業、広報を経て独立。アメリカ在住。
幼少期と大学時代をイギリス・ドイツ・ブラジルで過ごした経験から、比較文化に強い関心を持つ。
2016年12月よりエックス会員。Xブログ運営の主要メンバーとして携わる。
http://matching-project-x-blog.com/
この記事は、X-エックス-が2月に行った上海の視察から学んだことをまとめたものです。
他者を知ることで、自らを振り返る。
そのためのヒントになればという思いから、異文化についてのさまざまな考察をお届けしています。
― 目の前から、光が消えた。
上海近郊にある水郷古鎮「西塘」
今回調査先の上海から足を延ばし、中国の郊外でも進んでいるというIT環境を体感するため、ひとりでこの美しい街を訪れていた。
日も暮れ、帰りの最終バスが迫っていることに気付いた私は、発車寸前の車両を見つけ、なんとか飛び乗った。
発車してすぐのことだった。
― 突然あたりが真っ暗になった。
本当に、一筋の光もなくなった。
「このまま連れていかれる先は、本当に上海なのだろうか?」
親切な人々に導かれ、ようやく乗ったバスだが、助けてくれた彼らの言葉は一切わからなかった。
「シャンハイ!」ととにかく繰り返したものの、もしかしたら中国語の「上海」は全く違う発音かもしれないと、後からふと思った。
しかし真っ暗なバスの中で揺られながら感じたのは、むしろ妙に温かいものだった。
― その時、なぜか10年前のことを思い出していた。
イギリスでの留学を終え、日本に帰国する当日のこと。
見送ってくれる友人と一緒に、私はバスの2階の先頭に座っていた。
いつものバスの固い座席と匂い。見慣れた街。
まっすぐ続くこの並木大通りは、私が2年間通った大学へと続いていた。
ただこの日バスは、公園を抜けたところで右へと大きく曲がった。
大学ではなく、空港へつながる道だった。
私はもう、この街を離れるのだと感じた。
その瞬間、急に変な感覚に陥った。
このバスが予定通り空港に向かっているということが、なんだか不思議に思えてきたのだ。
私と直接会ったこともない人たちが、ルートやダイヤなど様々なことを決め、共有し、運行している。
それらすべての上に今、空港へと進むこのバスがある。
その先には、私を日本へ連れて帰る飛行機が待っている。
さらにこの車両を作った会社があり、この道路を作った人がいて、そして今交差点では横の車が赤信号でちゃんと止まってくれている。
何かひとつでも欠けていたら、私は空港までたどり着けないんだというありえない妄想をして、なんだか楽しくなってきた。
そう、現実を見ればそんなことありえない。
でも、それをありえなくしてすべてが回っているこの世の中がすごい。
私は、見ず知らずのたくさんの人たちに「あたりまえ」を支えてもらい、それを信頼しながら日々生きている。
そんなことを考えていた。
あの時の不思議な感覚は、いまだに私の仕事観や人生観を支えている。
― 話は、上海行きのバスに戻る。
しばらくバスに揺られるうちに、ようやく街灯の光がちらほら見えてきた。
我に返りながら、それまでの数日間、上海で過ごして学んだことを頭の中で整理することにした。
海外慣れしているつもりの筆者だったが、上海では「普通に過ごす」ことが予想以上に難しかった。
まずは、英語が通じない。
英語圏でない国でそれを期待すること自体が驕りだとは分かっていたつもりでも、やはりどこかで「国際都市・上海なら・・」と期待していた自分に気付いた。
実際のところ、お店や道端で通じることはほぼ稀だった。
また今や上海のどこで買い物をしようとしても、スマホの電子マネーであるAliPayやWeChatPayが前提とされ、キャッシュやクレジットカードを出すと困った顔をされることもあった。
その電子マネーは中国のIT業界を牛耳るアリババ(阿里巴巴)やテンセント(騰訊)が運営しており、導入障壁や手数料の低さなど、店側にとってのわかりやすいメリットを押し出し、瞬く間に導入が広まっていた。
しかしこの電子マネー、中国の銀行口座が必須なのだ(※2018年2月現在)。
以前は外国人観光客も簡単に口座が開けたそうだが、ルールが変わり今はできなくなっている。
そう聞いてはいたものの、自分で試さないと気が済まない筆者は、中国工商銀行と中国銀行にアタックし、気持ちいいぐらいはっきりと断られた。
スマホをベースとする中国のIT環境を体感するために上海まで来たのに、使えないじゃない・・。
呆然とする私に、上海在住の友達が救いの手を差し伸べてくれた。
「そんなに使いたいなら、AliPay貸してあげるよ」
・・持つべきものは友である。
日本でいえば、クレジットカードを貸してくれるようなもの。
言ってしまえば、悪用だってできる。
それでも信用してポンと貸してくれるという友人に、感謝してもしきれない。
ついに滞在3日目にして、AliPayが手に入った。まずは、中を覗いてみる。
支払い関連だけでなく、Uberのような配車サービスから、航空機の手配、ムービーなどのエンタメ、SNSのような機能まである。
「タクシーなんかはみんなこのアプリで予約しちゃってるからね」
なるほど。ここ数日タクシーが全然つかまらなかった訳がようやく分かった。
「空車」のサインが出てても全然止まってくれないし(何色かランプが付いていれば実質予約されているらしい)、また私以外、道端でタクシーを止めようとしているような人は全く見かけなかった。
「街中にタクシーが溢れているのに、なぜ!?」とタクシーさえ捕まえられない自分に凹んでいたのだけど。みんなアプリからなのね。
このアプリの持つ機能は他にもさまざまだ。
飲み会などでさっと割り勘できる機能に、交通機関でICカードのように支払える機能、評判の店を見つけて宅配を頼める機能・・。
たしかにすごいけど、相当する機能は全部日本にだってある。
そう、中国のすごいところは、これらが1つのアプリで完結し、繋がっていること。
そして、実際にこの機能をみんなよく使っていること。
生活の中で、自然とこれらを使う仕組みがよくできている。
アプリを起動してからいずれも3タップ内で使えるよう設計されるなど、UIが非常に優れていたり、割引などのさまざまな特典を用意するなど、使いたくなる仕掛けもよく施されている。
この電子決済サービスが始まる前から、中国の人々はWeChat(中国版LINE)で友だちとメッセージを交わし、Taobao(中国版Amazon)でオンラインショッピングを楽しんでいた。
すでに生活の中心にいたこれらのサービスに電子決済が加わり、みんなのお財布の代わりになることに対しては、さして心理的抵抗もなかっただろう。
そして、合理性を重んじる国民性と流行が一気に広まる群集心理、そして中央政府の強力な後押しもあり、これだけ急速に中国全土に普及することとなった。
しかし便利な日常と引き換えに、使えば使うほどその人の情報が丸裸になっていることは想像に難くない。
「データが吸い取られていること?うーん、たしかに気にならないわけではないけど、とにかく便利だし、他に選択肢もないですしね。」
その点について、日系大手総合商社の中枢で活躍する上海人にヒアリングをしたところ、とても割り切った答えが返ってきた。
そのデータは政府に渡っている可能性があることも認識しての回答である。
中国市場を席巻するIT事業者と中国政府との関係は緊密だ。
企業側はこの巨大な市場で優位であり続けるために、また政府側は社会秩序安定と経済成長のために、お互いを上手く活用している。
それを繋ぐのが、双方が持つ膨大なデータだ。特に政府と民間の信用情報を融合させることで、新たな社会信用体系の構築に挑戦している。
データが目的なのだろうと思えるわかりやすいビジネスの1つに、貸自転車がある。
上海の街に出ると、いたるところにこの貸自転車が大量に置かれている。
まずは試してみないとということで、実際にmobikeに乗ってみた。
アプリを起動し、自転車の後輪にあるQRコードを読み込む(下写真)。
すると、勝手に自転車のロックが解除され、ちょっと驚く。
乗り心地は、やや固くマウンテンバイクのような感じ。
実際、乗り心地よりも壊れないということを優先しているそうで、筆者が乗った自転車はタイヤがパンクレス仕様になっていた。
何より、公共の場所であればどこで乗り捨ててもいいのが便利だ。
普通に自転車のロックを下ろせば、使った時間分だけの料金がスマホでチャージされる。
そんな貸自転車は30分1元(約17円)もしない低料金で、中国人の日々の移動をサポートしている。
いや、日々の動きをよく把握している。
GPSのついたIoT自転車が、駐輪場スペースまで至る所に確保して、その値段で元が取れるはずがない。
実際中国では60社以上がこのビジネスに挑んだものの、激しい競争を繰り広げた後に、アリババやテンセントといった巨人の資本が入ったofoとmobikeの2人勝ちの状態で決着がついた。
自転車ビジネスでは赤字を食らっても、他のデータと結びつけて実を得られる企業が参画することで、勝利を収めたのだ。
これでアリババ、テンセントの巨大2社は、飛行機、鉄道、タクシーに自転車、そしてGPSを考えれば歩きも含め、中国人の移動のすべてを把握できるようになった。
中国の国民は「身份证」というIDカードに、一人ひとつ番号を持っている。
日本のマイナンバーと近いが、こちらは10倍近い規模の人数分を国が管理している。
便利なITサービスの利用にはその登録が必須で、つまりそこから吸い上げられるビッグデータは個人を特定することができる。
貸自転車などのレンタルサービスが無人でできるのは、そのような前提もある。
さらには個人の「信用度」も可視化されている。
アリババが運営する「芝麻信用」は個人の消費行動や取引状況はもちろんのこと、学歴や職歴、資産、SNS上での交友関係などまで参考にし、その人の「信用度」を点数化している。
AliPayを使った支払い状況や本アプリの中にあるSNSの情報とは違い、学歴や職歴、資産状況などは、ユーザーが追加で提供しない限り把握できるものではない。
しかし、この得点を上げることでさまざまなメリットが享受できるという認識が広まり、加点につながるようなデータを自ら進んで登録する人はさらに増えてきているという。
変動する自分の点数を逐一チェックする「中毒者」も増えているそうだ。
芝麻信用の特典が高い人はレンタルサービスのデポジットが不要になったり、一定の点数以上の人だけが登録できる不動産紹介やネットショッピングなどのサービスなどが利用できたりする。
最近では、高得点者同士だけが入れるお見合いサービスなども広がっていて、今後は、アリババが提供する特典だけでなく、共通の信用指数の指標としてさらに活用が広まっていくことが予想される。
ちなみに「芝麻」は中国語で胡麻の意味。
「アリババと40人の盗賊」の物語の中で、宝の眠る洞窟を開けた呪文「開けゴマ!」のように、これによって輝かしい未来への可能性が開かれていくことを意味している。
筆者を含め日本人の感覚では、「信用」をまるでテストのように点数化することに違和感を覚える人も多いかもしれない。
しかしこの国では、合理性を重んじる価値観にフィットする形で急速に浸透し、ビジネスのリスクを抑えたい業者や、「未来の可能性を開く」高得点者を中心にさらに支持を広げている。
少し逸れるが、筆者は現在アメリカ中東部に住んでいる。
私がアメリカに渡る前、欧州とアメリカに計15年ほど暮らしている兄がアメリカ社会についていろいろと教えてくれた。
その中でも強調していたのが、「アメリカはdistrust-based(不信ベース)」ということだった。
その名の通り、「信頼」ではなく「不信」が根底にある社会ということで、随分響きは悪いが、実は必ずしも悪い意味だけではない。
むしろ不信ベースを克服するために多くの努力・工夫を重ねた結果、信頼が循環していく部分もある。
さまざまな人種の移民により形成されてきたアメリカは、単一民族国家の日本などとは異なり、隣の人の出自が分からないという状況が当たり前に起こってきた。
そんな中で「怪しいものではないですよ」と自ら進んで挨拶や自己紹介をし、握手をする文化が形成されてきた。
そういったフレンドリーな国民性やしっかりとした契約社会は「不信」をベースにした努力の賜物ともいえ、それがアメリカの発展に寄与してきたのも事実だろう。
ちなみに私は「性悪説」を支持している。
中国の戦国時代末の思想家・儒学者である荀子が説いた性悪説は、「人を疑ってかかるべき」というような意味に取られることが多いように見受けられるが、厳密には少し違う。
「人間の本性を利己的欲望とみて、善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。」
(goo辞書【性悪説】)
これは、「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有して」いるとする孟子の「性善説」に異を唱えたもので、生まれつき持っていないから努力して得ようということだ。
「性善説」も「性悪説」もつまるところ善に近づくために頑張ろうというメッセージなのだが、前者は生まれ持ったものを守るため、後者は持っていないものを得るためにと、方向が少し違う。
純粋無垢な可愛い赤ちゃんを見ていると、生まれた瞬間が一番「善」に近い状態と見るのが自然に思える。キリスト教のvirginityもこれに近いだろう。
しかしながら、私たちは本来利己的欲望を持つものだと認めたうえで、それでも人生の階段を上りながら出会い、傷つき、学びながら「善」に近づき磨かれていくんだという性悪説の考えも、とても素敵だと私は思う。
同じキリスト教国の中でも、アメリカはディストラストベースで、イギリスはトラストベースと兄は言っていた。
本題ではないのでここでは詳述はしないが、宗教だけでなく歴史やさまざまな文化が合わさって形成されているということは間違いないだろう。
そして中国も、おそらくアメリカと同様ディストラストベースだ。
中国人とビジネスをしたことがある人は、一見日本よりウェットな文化に見えて、大事な局面でスーパードライな対応をされて戸惑った方も多いのではないだろうか。
ヒアリングをした上海人は、「お金が絡む場合、親友であろうと契約を交わすのが当たり前」と言っていた。
ディストラストベースになった背景には、多民族・多言語の大陸国であることや、辿ってきた壮絶な歴史が関係しているように思う。
家族の絆が極めて強いのも、裏を返せば40年ほど前の文化大革命時代、家族以外の誰も信じられなくなるような状況があったからだと中国人の友達が教えてくれた。
「信用」が点数化されることに対し心理的抵抗を感じる人は、中国にもやはり一定数いるらしい。
それでもこのサービスの勢いが止まらないのは、もちろんそれを超えるメリットがあると感じられているからだ。
どのように不信を乗り越え、信用できる人と取引をし、自分は信用できるとわかってもらい、その信用に足る果実を得られるか。
悩んできた人たちにとっては、データが多少吸い取られても、点数の根拠に多少不満があっても、それを受け入れるに足るモチベーションがある。
そして14億近い国民を一党で統制しようという難題に挑むこの国は、ITがそれを乱すものではなく、助けてくれるものであるよう、今後も試行錯誤を続けるだろう。
FacebookやGoogleが使えなくても国産品で同等のものを賄える巨大な内需と、不信がベースにあってもそれを乗り越え急速に変化する社会を受け入れるたくましさが、この国にはあるのだから。
最後にご紹介:X-エックス-とは?
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