関 憲人氏
株式会社マクサスCEO
人との関係性は、時として自身を映し出す鏡になります―
起業家一族のサラブレットの血を継ぎながら、学校などではトラブル続きで、高校を中退した後、自分を追い込むように起業した関 憲人さん。
その後、事業を守るため必死に駆け上ってきましたが、振り返ればその中で、親友やたくさんの仲間を失いました。
今回3周年を迎えたX-エックス-は、第35回目となるメンバー限定パーティー「新・車座」のテーマを、私たちが最も大切にしてきた真髄である「生き方を語り合う」こととし、関さんが今までの半生を振り返り、ありのままを語る場とすることにしました。
平日の定時に仕事を切り上げ、集まってくれた11人の皆さんとともに。
決して順風満帆ではなかった過去を、言いづらいことも含めて赤裸々に語ってくださった関さんのこれからを応援し、一人でも多くの方々に受け止めてもらうため、ここにそのすべてを公開します。
目次
生き方を語り合う。~原体験が未来を拓く
ということで、登壇者の関さんをご紹介します。
関さんは、ほぼ学歴ゼロの状態から、ご自身で起業されて、今月商4000万~5000万くらいの会社を運営されています。ではさっそくここからは関さんからお話をいただきたいと思います。皆さん、盛大な拍手で関さんをお迎えください。
会場:拍手
関さん:マクサスの関と申します。
今日はこれから僕が自分の生き方を語りたいと思いますが、あくまでそれはみんながその後自分の生き方を語りやすくなるような、着火剤にしていけたらなと思っています。
簡単な自己紹介をさせていただくと、株式会社マクサスという会社をやっております。
2012年、僕が22歳のときにつくった会社で、今年で7年目です。
事務所は五反田にある建物の1階と2階のフロアを借りているのと、あとは鮫洲の物流拠点の方に大きな倉庫も借りていて、実際に在庫を扱うようなビジネスをやっている会社です。
代表は私で、事業内容はネット型のリユース事業で、中古品を買い取って売っています。
その差額で利益を得るっていう、本当に商売の原理原則みたいなビジネスをやっています。
資本金は一千万。従業員数は、社員が17、8名くらいで、アルバイト・インターンを含めると45名くらいの会社です。
サービスとしては、「そっきん」というIOSアプリの買取サービスと、ビデオチャットでプロが査定するweb上の買取サービスを展開しています。
商品を選択して、その商品の状態を選んで、写真を撮る。そうすると自動的に商品データベースから査定した金額が算出されて買取金額が出てきます。
その後、この金額に納得いただければ集荷日時を選び、出てくる注意事項等を確認します。
先払いで買取金額が支払われ、あとで集荷されます。サービスとしてはキャッシュさんに近しいようなサービスですね。具体的な違いの説明は今日は割愛させていただきます。
もう一方のビデオチャット型の買取サービス「SEL-LIVE セルライブ」は、引っ越しのタイミングなど、まとめてモノを処分したい人に向けたサービスです。アパレル品、ブランド品、テレビ、カメラなどをまとめて売りたいという方にご利用いただいています。
商材に特化したサービスではなく、引っ越しなどの、まとめて売るタイミングを重点に置いてサービスを提供しております。
オペレーターにビデオチャットで接続し、コミュニケーションを取りながら簡単に査定ができます。その場で買取金額が提示され、ご納得いただければ、提携する業者がすぐに引き取りに行くようなサービスです。梱包も必要なく、らくちんです。
会社は毎年年間200%くらい成長してきていて、今期の決算は約5億円前後で着地する予定となっております。
自分自身を変えるために話したい
どうして今日登壇することを決意したかっていうと、この1つに限るかなと思っていて。僕は自分自身のことを変えたかったんです。
なぜ変えたかったのかってことなんですけど・・その前にまず、今の会社の状況を正直に話します。
まず、組織が崩壊してます。
会場:えっ・・。
関さん:今、古参のメンバーが大量に辞めている状況です。
今週の日曜にまず一人、2番目に長いスタッフから、来月退職しますっていうことを言われて。
その翌日に、エンジニアで1番長い人から、今のメンバーと折が合わないんで辞めますと。
そして、その翌日には、販売を教育していただいている主婦のバイトの方も、辞めますって。
3日連続で退職しますという報告を受けていて、社内がかなり荒れているような状況です。
実際に直近では業績も悪化しています。
今月に関しては、過去最大の赤字。思わしくない状況です。
さらに追い打ちをかけるように、お客様が「ネイバーまとめ」で会社の悪いポイントをまとめ、それがSNSで拡散されてしまいました。
問題の1つとして、会社の体制があるのではないかと思っています。
現状ですと、会社の経営層をほとんど私が一人で担っている状況です。メンバーの平均年齢が24歳ぐらいで、経験者である大人のレイヤーがかなり少ない。
そのいったことで(自分が)細かいところに目が行き届いていなかったと思っています。
僕自身も現場組織が崩壊しかけているということを痛感してきていたので、困窮の果てに、川元さんに相談したんですね。
(川元:大手都市銀行、金融系ベンチャーキャピタルを経て起業。本イベントの主催者兼モデレーター。)
ボードメンバーを採用できていないから、下から崩れていく。
じゃあなぜボードメンバーを採用できないのかということを川元さんに相談したら、そこで言われたのが、「関さんは全然自分のことを明らかにしていない」と。
経営者は自分の弱いところもオープンにしていかないと、信頼してもらえない。そこがあってこそ、経営者の魅力はもっと出てくるんだという話をしていただきました。
こういう会社の状況を話すのとか、正直けっこう恥ずかしいんですけど、そういうこともちゃんと共有し、僕自身がもっと成長したいというチャレンジの意味も込めて、今この場に立っています。
話としては、過去・現在・未来に分けてお話ししたいと思います。
尖っていた幼少期
まずは「過去」ということで、僕の幼少期の頃の話からしたいと思います。
僕の中で、大きく二つ印象に残っている出来事があって。
まず、僕の祖父も起業して飛騨の家具メーカーの「柏木工」という会社をやっているんですが。一応飛騨では「柏木工前」っていうバス停があるぐらい、それなりに大きい会社です。
父も今渋谷で人材派遣の会社をやっていて、幼少期の頃、父の会社に遊びに行くことがけっこうありました。
僕は大人と遊ぶのが好きな子供だったので、親父の会社に行くたび、みんなの気を引くため、自分で「社長の息子が来たぞーー!」と言って、「あ、また憲人きたよ。あいつ生意気だな」とかいじられながら大人と仲良くしていく、みたいなことをやっていました。
川元:社長の息子来たぞーって自分で言ってたんですか?
関:言ってました。
会場:(笑)
関:親父とかは、お前恥ずかしいからやめてくれと言ってました。(笑)
ノリのいい人たちだと結構いじって遊んでくれるんですよね。だから当時から、可愛がられる術っていうのは知ってたのかな。
宮本さん:柏木工って椅子が有名ですよね?嫁さんと一緒に、私何度も行ってます。
宮本さん:大手Web制作会社での受託業務を経て、子会社としてVCの立ち上げに奔走。その後大手ゲーム会社でデジタルマーケティングとベンチャー投資、アライアンスに携わり、2018年4月に卒業。現在は海外渡航を控えフリーとして活動。
関:本当ですか!?
宮本さん:はい、嫁さんが大好きなんです。いい値段するから買えないんですけど。あ、ここに社長の息子がいますね(笑)。
会場:うまいなぁ(笑)
川元:孫ですけどね(笑)
関:嬉しいですね。
あともう一つの僕の思い出なんですが、中学校時代に3年間エースでサッカーをやってました。
でも卒業アルバムのサッカー部一覧の写真にも僕は一切写っていないんです。最後の大会前に監督と喧嘩して辞めて、結局最後の大会には出なかった・・。
そういうわりと尖った幼少時代を過ごしてきたかなぁと。
家を追い出され、金もなくなった
つぎに、起業するまでの話をしたいと思います。
起業するまでの僕の簡単なストーリーを、wantedlyの記事でブログ化しました。
この記事、パート1っていいながら、実はパート2がないんですけど。
会場:(笑)
関:「中卒の私がどうやって自己資金でスタートアップを創業して、今なお100%自己資本で会社を経営できているのか」という話です。
最近、スタートアップ界隈の人によく驚かれることがあります。
100%自己資本でスタートアップを経営しているということが、若い起業家の中では非常に珍しいということで、地に足がついてるとよく評価していただいたりしています。
6月に決算を迎えるんですが、売り上げも5億円弱を記録しています。
当初予定していた収支計画は達成できませんでしたが、最低ノルマの200%を達成しています。
ただ実際は順風満帆では決してないのですが・・。
そもそも私の場合は父も祖父も起業家だったので、起業したいという想いは子供の頃からものすごくありました。
高校時代はサッカー部で監督と喧嘩して辞めたり、先生とうまくいかなかったり、ガソリンスタンドのバイトでは、副店長の愛人と喧嘩して、2週間でクビになったり。
そういうことを平気でやらかすようなキャラで。
自分のことをどう例えるかっていうと、良くも悪くも非常に素直なのかなと。
「そんなこと我慢して言わなければええやん」と言われるようなことも、言ってしまう。
口がだいぶ災いの元で、いろんなトラブルを発生してしまっています。
それでも思ったことを(言うことを)止められない自分がいる。
もうこれは病気なのかなって思ったりしますけど(笑)。
そんなこんなで、当時は普通のことをするのも苦労していて。
これは自分で起業しなきゃダメだな、ということをうすうす感じていました。
スタートラインとしては高校を卒業しました、早めに。
全員:(笑)
川元:すごいポジティブな言い方(笑)
関:はい。
高校時代、先生とうまくいかなくて。
嫌だったので、こんなところいても仕方ないし、ということで辞めました。
親には相談していたのですが、僕が高校に行かずバイトとか別のこととかして、親との関係性は非常に悪くなっていたりして。
高校辞めること自体、僕の家系からいうとありえない選択でした。
兄弟も従兄弟も、誰も高校を辞めていない。
親は、みんな大学までいっている中で、高校中退というのはカス中のカスだから、辞めたということは絶対言うな、隠せと。
僕は納得できなかったので親と喧嘩して、そしたら家を追い出され、金もなくなった。
どうしようもなくなったので、住み込みでスキー場で働き始めたのが、17歳の時ですね。
その当時、今の執行役員の蓮見と出会いました。
そんなこんなで、家なし子だったので、住み込みで働いたり友達のアパートに家居候したりとか。そんな中で中古品を自分で買ったりとかしながら過ごしていって。
途中、大学はいいところ入っておこうかな、と一気奮闘したこともあったんですけど、自分がやりたいビジネスっていうのが大学で勉強することとどうしてもリンクしてこなくて。
僕は、サッカーでプロになりたいならサッカーを練習した方がいいと思っています。
本を読んで勉強したり、プロの話を聞くのではなくて、ダイレクトにサッカーをやったほうがいいと思う。
僕はビジネスで成功したかった。それなら、早いうちからビジネスで経験を積んだ方がいいと思って。
だから当時、色々と経験を積もうと思ってバイトを経験したり、19歳の時1年間ニュージーランドに留学に行ったりしました。これは自分でお金を貯めて行きましたね。
その当時、起業しようかなとずっと迷っていたんですけど、留学する中で22歳で起業することを決めました。
事業に失敗したら、死ぬつもりだった
帰国してからはまず不動産会社に勤めました。
そこでは、入社半年で約100名くらいの会社で全国2位の成績をおさめました。
1位にはなれなかったんですけど、1位にこだわるより早く起業したほうがいいなと思ってすぐに会社を辞めて、起業を先行してやっていきました。
流れとしては、200万円貯めて、起業することをみんなに公言したんですけど。
正直言うと、僕は臆病でネガティブなタイプなので、起業することは決めていたんですが、ものすごい怖くなって。
このままだと起業というスタート地点に立てないなと思って、怖くなってみんなに先に言ったんです。
でもそうしたらさらに怖くなって、逃げたくなったので、なぜか自分に追い込みをかけるためにこの当時、2000万円前後の分譲マンションの1室を買いました。当時22歳です。
会場:(笑)
関:どうして買ったのかというと、事業に失敗したら死ぬつもりだったんです。
だから、とにかく自分に追い込みをかけるために。
あとは金がなかったので、極限までランニングコストを抑えたかったというのもあって。
最終的には完全に怖くなって、本当に逃げ出したくなった。
ただ買ってしまった以上には止められない、だから突き進むしかないという形でやっていました。
この頃、起業すること自体を誰もが否定していました。家族も、親も、友人も。
そんな、誰も肯定してくれる人はいないまま2012年10月、僕が22歳の時にこの会社を作りました。5年半前になります。
木村さん:2012年と言えば、ちょうど日本でもVCのお金が増えてきたところですね。
木村さん:大学院卒業後、大手コンサルに就職。社内のビジネスプランコンテスト優勝、新事業の立ち上げを経て海外へMBA留学。卒業後、大手商社のアフリカ現地法人、外資系コンサルを経て、現在官民ファンドでVC投資に従事。
関さん:そうですね。でも当時はVCの存在も知らなくて、(知ったのは)起業して2年ぐらいですね。
ゼロからすべて自分で
で、「現在」に移ります。
起業をしてからどうなったかっていうところを話していきます。
最初はシェアハウスの事業をやろうと思ってこの会社をつくりました。
2009年当時、日本にはシェアハウスという居住形態が全く一般化されていなかったんです。でも、僕の留学先のニュージーランドでは、それが一般化されていて。
これってかなりビジネスになるんじゃないか、と。
最初は2世帯住宅、23区内、そして5 LDK 以上という条件で、これに相当する住宅の平均空室期間は2年ありました。
これを賃貸で貸そうとしてもさすがにないだろう、と。それならシェアにしてしたほうが間違いなくいいと思ったんです。
当時は、目星をつけた物件のオーナーさんに飛び込みで営業をかけました。結局うまくはいかなかったんですけど。
どうしてうまくいかなかったかというと、信用がなかったんです。
僕は当時22歳で、資本金は100万円でした。目立ったバックキャリアもない中やっていたんです。
オーナーさんに言われたのは、「あなたの提案は非常に分かるし、理解ができる。そして儲かることも、両者がwin-winの関係になることも分かる。ただ、最終的に信用がない」と。
つまり、オーナーさんにしてみれば、不動産という人生で最も高い買い物の資産を若者に預けるということは出来なかったということ、また僕もそれを補う信用が確保できなかったということが理由でうまくはいきませんでした。
それから事業転換をしました。
キャッシュアウトがもう目前でした。
そんな中で、以前からやっていたこととして、リユース事業・中古品の買取・転売みたいな感じでちょっとだけ稼いでいたキャリアがありました。
これはもう少しチャンスになるんじゃないかなと思って。
最初はテレアポから始めました。ひたすら住所録を見て電話をしていました。
1日500件か600件くらい。それでも獲得できるのは2件ぐらいで。(笑)
1件売っても、利益2万とか。
これは割に合わないと思って、そこから、じゃあもうインターネットやろう、と。
それで始めたのが、リユースサービスの『買取りマクサス』です。
このサービスは、僕がHPを自分で作って、SEOも自分でやって、どんどん伸ばしていきました。というのが2期から3期の間ですね。
木村さん:ITの知識ってあったんですか?
関さん:ないです。ゼロです。HTMLって何だろう?ってとこからスタートしました。
宮本さん:2013年当時ということは・・本を読んで覚えた?
関さん:僕は行動して覚えるタイプなので、使ってみて理解していった。カオスでしたね、当時(笑)。
川元:初めていきなり4000万の売上ってすごいですね。
木村さん:意味わからない(笑)
みんなの気持ちがどんどん離れていく
関さん:うまく波に乗って、社員も増えてきて、8名になった、やったぞ、と。
営業利益を20%くらい確保してたので、よしやってやるぞ、という時でした。
いろんなことが起きました。僕らの中で、マクサスショックと呼んでいるんですけど(笑)
一番しんどかったのは、創業メンバーであり、中学の親友だった人を解雇することになったことです。その経緯をちょっと説明します。
まずは、創業メンバーとの食い違いが起こってきました。
僕らの会社は、中学校の仲間3人で作った会社です。実際は僕が最初100%で作って、友達を誘った、みたいな感じになるんですけど。
まず、1週間でその友達の1人が辞めました。
はえぇな、俺マンションの一室買ったんだけどな、みたいな(笑)
川元:(笑)。起業あるあるですよね。
関さん:それから、もう1人のメンバーと2年間ずっと一緒にやったんですけど、どんどん気持ちのすれ違いが起こってきました。
僕は、ベンチャーなんだから夜中まで働くのなんて当たり前やん、甘いこと言ってんなと。そういう価値観の押し付けをしてしまったんです。
一方で、親友であり創業メンバーであるCは、いや目の前のお客さんを幸せにしていればそれでいいやん、そんなに成長焦ってもしょうがない、本末転倒やん、と。
僕とCの間の溝がどんどん深まっていく。どんどんどんどん僕らの間の距離は開いていったんです。
これはやばいと思いました。それで、もともとキャリアのある人に中間に入ってもらおうと思ったんです。
そこで幹部として招き入れたのが、H通信の子会社を辞めたKさん。「Kさん、営業本部長として頼みます」と言っていきなりボンと入れてしまった。
そしたら何が起こったのかというと、Kさんはものすごい働かない人で。
会場:大笑
関さん:19時に帰るのが当たり前。そうです、めっちゃホワイトですKさん。
Kさん帰るのすごい早いすね、みたいな。
そんな人がナンバー2で入っちゃったんで、僕がさらに離れちゃったんですね。
徐々に組織が崩壊していきました。どうなったかって、さらに距離が離れていって、僕が孤立していきました。完全に。
でも、Kさんは口がうまかったんです。ものすごくスキルは高かった、正直。
どんどんチームをまとめていく、僕はさらに孤立していく・・。
そうして、どんどんどんどんみんな働かなくなってきて。
会場:大笑
宮本さん:いや、その中でこれだけ数字が上がっていくのがすごいですよね。数字を前に持ってきたりとかしてないですよね?
関さん:やってないです。うちは会計はかなりしっかりしたところ入れているので、そういうのは何もないです。
・・まあそんなこんなだったんですけど、結果どうなったかっていうと。
創業メンバーのCが、その当時は世田谷店舗っていう買取店舗を持っていたんですけど、彼の日々の業務報告見ると、何をやっていたんだろうと疑問に思う業務報告があがってきて。
なぜか LINE のニュースフィードの LINE レンジャーのレベルが毎日昼間の時間帯に上がっていく。
これはどういうことだと。
会場:(笑)
みんなもCがやる気をなくしてずっとゲームをやってるっていうのを知っていました。
僕はそんな状況に危機感を抱いて、「C、ちょっと変わってくれないか」とか話してたんですけども、全然うまくいかず。
結局、呼び出してその日のうちに「お前やめてくれ」と伝え、決断して即日辞めさせた。
そうなって僕はさらに孤立していきました。
何かおかしい・・金の流れが
そして最終的に、さらなる崩壊を生みました。
会社にその当時社員が8名いたのですが、2週間ぐらいの間に一気に4人抜けて、残りが4人になっちゃって。
ここから更なる崩壊が始まって、Cは結局いなくなるし、Kさんはよりパワーを増してみんなをまとめるし。
そうしてどうなったかって、僕がオフィスをガチャっと開けて、朝「おはようございます」と言う。
すると誰も反応しない。全員シカトするっていう状態になっている。
「これは死ぬな」と。
さらなる崩壊その次。買取で適正価格より何倍もの値段で買い取り始めたんです。
最初彼らは、僕を社長から交代させようとしていたんですけど、株式を100%持っているから無理だということが発覚して。そしたら会社を潰そうとし出した。
2万円くらいのものを4万円で買い取ったり5万で買い取ったりという反逆を起こして。
1ヶ月ぐらいの間に瞬く間にキャッシュフローが悪化して、本当に潰れそうになった。
あと2週間ぐらいで完全にキャッシュがなくなるぞ、というところだったんですけど・・。
マクサスショック終了の前夜。
夜中11時です。
当時伝票で管理してたんですけど、買取伝票を見ていて違和感を感じました。
「何かおかしい、金の流れが・・。」
全部見てみて、絶対これはおかしいと確定したので、真相を確かめるため、1人のお客さんに電話をしました。
夜中の11時にもかかわらず出てくれて、話を聞いたら、「絶対にこれはやってるな」と。
「(夜遅くに)本当に申し訳ないです」と言って、そのお客さんに直接会いに行って、タイムレコーダーで話を聞かせてもらって。
翌日、彼らを全員解雇。
そして社員は一人なりました。1ヶ月で。
会場:沈黙・・。
そして彼らはどうなったかっていうと・・あんまり公言できないことに当然なりました。
そんなこんながあったんですけど、営業利益は3期か4期の間にちょっとだけ伸ばすことができました 。
会場:え・・。(チャートを見て)どんだけ伸びてんですか(笑)。
木村さん:こんだけ伸びてんのに、もっともっと働けって言ってたら、確かに頭おかしいかもしれないです。
株主だったら、「よくねえ?」って思います。
会場:(笑)
川元:こんなきれいなライン描けるの、100社あったら1社あるかないかですよね。
宮本さん:いやー、いいですね。完全にサイコパスですね。
会場:(大笑)
壁に直面し、試行錯誤してビジネスモデルが進化
関さん:そしてさらに5期目なんですけども、新たなメンバーでリスタートして、また売上を伸ばしていきました。
ただ今度は、どちらかというと人の問題というより事業モデルの問題が発生して。
1億1,000万いったと、よしやったと、ただ俺ら最低300%成長しないといけないから次3億やと。
3億いこうと思って、広告費をばーっとかけまくっていったら、広告費は3倍ボーンと伸びたんですけど、売上は1.5倍くらいしか伸びなくて。なんでだこれ、と。
最終的にキャッシュアウト寸前になりました。またしても。
これはやばいと思って、まずは資金調達しなくちゃいけないと。
色々な銀行をかなり回って、何とか資金調達をしました。
今までは、僕は現場から離れちゃってたんですけど、また現場の最前線に戻って自分が一番買取をたくさんやって、やっと収益を軌道に乗せました。
ただ、もうビジネスモデルに限界を感じていたんですね。
当時は SEO で集客した人に対して、私たちがお客様を訪問して、商品を引き取って、まるっと買取をするという出張サービスをやっていました。
でも、このモデルもう限界やん、と。
この頃、収益が落ち着いていたので、動態管理システムというもの導入して、全員につけてもらいました。
それで、社員が出張に出ている間の行動ログを全部取っていったんです。
そしたら、査定買取に使ってる時間よりも、移動とか商品の運び出しとか、物流にかける時間の方が圧倒的に多いことがわかったんです。物流に時間をかけていたら、本来やるべき査定買取に集中できないからあかんぞ、と思いました。
であれば、ビデオチャットで買い取りをしようと。
そしたらお客さんも当日のご依頼でもその場で査定ができるし、非常に楽ですよね。
ということでビデオチャット型の買取サービス「SEL-LIVE セルライブ」というのを作りました。
これで、物流は全部アウトソース、僕らは査定買取だけをすればいい仕組みができました。これが5期ですね。
ここまでが、先ほどお話した通り、組織崩壊・業績悪化・顧客からの悪評。
これが今さしかかっている問題、というかリアルに起こっている問題で。
先日も全員を集めて、「会社がやばい、変えないといけない」っていう話をしました。
今日も神戸の辞めるって言ってたエンジニアの方に会ってきて、戻ってきて、今ここにいるって感じなんです。
自分達がいなかったら出来ていない明日をつくりたい
「未来」の話も少しします。
僕自身はビジネスをやる上で、3つのテーマを掲げています。
1つはやっぱりグローバルで戦いたいということ。
今まで色んな経験してきて、まだまだ足らないとこがあって、毎年のように倒産しそうになってる。それでも、グローバルで戦いたい。そういう企業を目指したいと常々思っています。
2つめは、for SMART LIFE。
これは「そっきん」のキャッチコピーにも掲げてるんですけど、人々が限られた資金の中で、より豊かに賢く生きるための手段として、リユースのサービスを提供しようと。
モノを消費する中で、新品という選択肢だけではなく、中古とか、あとは借りるっていう選択肢もあった上で消費の意思決定をしたら、どんなに人々が賢く生きれるか。そこを達成して、SMART LIFEを実現しようと思ってます。
あとは、マクサスの会社の由来なんですけど。
マクサスって、Makeと明日の造語なんですね。makeのeを抜いてxでasuのuを抜いてmakxas。
これは、自分達がいなかったら出来ていない明日をつくることで、僕らの存在価値を発揮しようよ、と思って作った名前です。
だから、そういう存在になれるように僕らが他と違う何かをしっかりとつくっていこう、新しい未来をつくっていこう、というのをテーマにやっています。
あとは個人的な話なんですけど、川元さんといろいろ話して見えてきたところがあって、今までは全うな道をほとんど歩んできてないんですね、僕。
でも、やっぱり全うな道を歩まなきゃいけないな、とすごく思っています。
あとは、少しでも誰かの希望になりたい。
僕みたいに中卒で、何もしてこなくて、特段勉強ができるわけでもない人間が出来ることってなんだろうって考えたんです。
スターにはなれないかもしれないけど、せめて自分が成功することで誰かの希望になれるんじゃないかな、と僕は思っているんです。それって、凡人だからこそ出来ることなのかなと思ってます。
あとは、これは本当に川元さんに何度も言われてるんですけど、自分の価値をなかなか認められないんです。
だからこそマイナスな面も、もっと出して言った方がいいよ、と川元さんに言われてるんですけど。
やっぱり自分自身、あまり自分の価値を感じられていない、認められてない。
だからビジネスを大きくして、自分を少しでも認められるようになりたい。
そんな想いをもってビジネスに取り組んでいるので。
これから、自分自身のことを認められるようになっていきたいというのが僕の個人的な想いです。
この後ぜひみなさんと語り合えたらなと思っています。
ありがとうございました。